国鉄の基幹路線になるはずだった? 「阿武隈急行」完成まで25年の紆余曲折 またも地震被害

2022年3月の地震により、一部区間で運休が続く阿武隈急行線。近年、台風など災害の影響を何度も受けている路線ですが、同線の過去を振り返ると、紆余曲折を経て開通に至っています。当初、その大きな役割は、「東北本線のバイパス」でした。

計画は明治時代にさかのぼる

 2022年3月16日、福島県沖で発生した地震により東北新幹線は大きな被害を出して不通に。約1か月をかけて復旧しましたが、同じく地震の影響を受け、3か月近くを経てもなお一部区間で不通となっている路線があります。阿武隈急行線です。

 同線はJR東北本線の福島駅と槻木(つきのき)駅(宮城県柴田町)を結ぶ第三セクター鉄道です。東北本線の東側、阿武隈川に沿うルートを通ります。6月4日現在も福島~保原間が不通になっており、全線再開は6月下旬が予定されています。

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2扉セミクロスシートの阿武隈急行鉄道8100系電車(杉山淳一撮影)。

 近年は災害に見舞われながらも復旧、また被災、また復旧というように、何度も打ちのめされ、立ち上がってきました。2011(平成23)年3月の東日本大震災、2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)、そして3月の地震……。今回はホームの損傷、道床流出、コンクリート柱の傾斜などの被害がありました。

 ただ、さらに同線の歴史を見ると、計画から全通まで何度も頓挫し、工事再開を繰り返してきました。それと同時に、実は東北本線になるかもしれない路線でもありました。現在の第三セクター鉄道になるまで、どんな経緯があったのでしょうか。

 時は明治時代までさかのぼります。明治政府は鉄道をすべて国が建設、運営するつもりでした。しかし資金がありません。そこで民間会社による鉄道建設が始まります。最初の事例が「日本鉄道」で、東京と青森を結ぶ構想でした。後の東北本線です。当初、福島から仙台まで、奥州街道ルートと阿武隈川沿いのルートなどが検討されました。しかし結果的に、当時は奥州街道ルートが選ばれました。

【阿武隈急行線の前身】「国鉄丸森線」時代の写真

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コメント

1件のコメント

  1. 私のふるさと丸森町。旧丸森線は1日5往復で、日本一の赤字路線だったと記憶しています。故郷を離れ東京にいましたが、丸森線が阿武隈急行と名前を変え、丸森駅から福島駅まで開通したときはとてもうれしかったですね。地元では親しみを込めて阿武急と呼んでいます。丸森町の「阿武隈ライン舟下り」はこたつ舟がありマスコミに取り上げられました。不動尊公園キャンプ場も人気があると思います。震災や台風など阿武急も丸森町も被害を受けましたが、その都度頑張って復興を目指しています。頑張れ阿武急、頑張れ丸森町。