魔改造されすぎ「12系客車」 なぜ未だに大活躍? 気動車化に車体載せ替え…何でもアリな半世紀
12系客車は国鉄が製造した急行用客車です。昭和の大阪万博を契機に登場し、2023年現在でも各地で観光列車用として活躍しているばかりか、平成末期にも車体を新造した車両まで登場しています。54年目となった12系を振り返ります。
電車にも劣らぬ走行性能
2025年の開催を予定する大阪万博。実は約半世紀前の1970(昭和45)年に、日本初の万博が開催されたのも大阪でした。当時、国鉄は臨時列車や団体列車を多数運行して、輸送需要を満たそうとしていました。
しかし、電車や気動車を増備することはコストが高く、閑散期には使わない車両を保有するのは、保守コストがかさむという問題がありました。こうしたことから、貨物輸送用の機関車で牽引できる客車列車が費用対効果に優れると判断され、1969(昭和44)年より製造されたのが12系客車です。
同時期に製造されていたキハ58系急行形気動車は、普通車ボックスシートの座席間隔が1470mm、165系急行形電車では1460mmでしたが、12系客車では1580mmに広げています。座席形状も人間工学を考慮した改良を行い、座り心地をやや向上させています。
また、側窓が上段下降・下段上昇式のユニット窓になったほか、冷房や空気ばね台車を装備し、同時期の急行形電車や気動車よりも居住性では勝っていました(キハ65形とは同等)。
速度性能も新開発のCL形応荷重機構付き自動ブレーキ装置を採用するなどし、従来の客車やキハ58系より15km/h速い、165・457系急行形電車と同等の最高速度110km/hでの走行を可能としました(加減速度では電車が勝る)。特急用客車の20系ですら、製造当初は95km/hで、1968(昭和43)年にブレーキ強化で110km/h対応したばかりなので、走行性能でも優れていたといえます。
また、編成端のスハフ12形床下にディーゼル発電機を取り付けることで、電源車を連結せずとも冷房装置の電源を確保できました。なお、そこで搭載されたエンジン(180馬力)は、当初自車を含めて5両まで給電できましたが、量産車では230馬力のものへ換装することで、自車を含めて6両まで給電可能としました。ちなみに、本系列のエンジンはキハ40系気動車の走行用エンジンとしても採用されています。
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