前翼付きは「震電」だけじゃない! 米英も開発した異形の戦闘機「エンテ型」結局どうなったのか?
ジェットエンジン搭載する予定で生まれた試作機
一方、イギリスのマイルズ社が開発した「リベルラ」は、胴体の後部に大きな主翼、そして機首部には大きめの水平前翼を備えた、エンテ型の亜形ともいえる機体形状が特徴です。
リベルラにはM.35とM.39という2種類の機体があり、最初に開発されたのは前者になります。元々はイギリス海軍向けに提案されたもので、エンジンを胴体後部に搭載し、プロペラは「震電」と同じ後ろ向きのいわゆる推進式。低翼に配置された後部主翼の左右両端には、1枚ずつ計2枚の垂直翼が取り付けられていました。
そして、大きめの水平前翼の前に、1人乗りのコックピットがある構造でした。本機は、あくまでも試作機のため1機しか造られませんでしたが、試験してみると比較的良好な成績だったため、同機をスケールアップして双発エンジン化することが計画されます。
こうして生まれたのが、リベルラM.39です。同機は複数のターボジェットエンジンを備える高速爆撃機として構想されていました。
しかし、ジェットエンジンの開発が進まないので、レシプロエンジン双発の縮小型検証機としてリベルラM.39Bが造られます。同機には、胴体後部に主翼があり、この主翼の左右中央部に、プロペラを前向きに備える形でエンジンをそれぞれ1基ずつ装備していました。
垂直翼は胴体後端と主翼の左右端に、1枚ずつ計3枚備わっています。なお、機首部の水平前翼は大きく、その上に1人乗りのコックピットが設けられていました。
リベルラM.39Bは 試作機が1機造られて1943年7月22日に初飛行しましたが、やはり外観こそ奇抜であったものの、既存の戦闘機を上回る性能ではなかったようで、結局、それ以上の機体は作られず計画は中止となっています。
このように、エンテ型戦闘機の開発は日本だけでなくアメリカやイギリスでも進められていたのです。しかし、日本よりも強力なエンジンを開発・生産できる技術があった米英においてもモノにできなかったというのは、エンジン以外の要素として、当時はまだ解明されきっていなかったエンテ型機の飛行特性なども大きく関係していたからです。
そう考えると、もし日本が「震電」を実用化できたとしても、高出力エンジンの搭載とは別の観点から、持て余した可能性があったかもしれません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
コメント