「貨物」じゃないよ「荷物車」の系譜 なぜ鉄道でいろいろなモノを運ばなくなったのか?
「貨物」と「荷物」は違う
なお荷物車は貨物を運ぶ「貨車」とは違う扱いでした。これは「旅客列車の乗客の荷物を運ぶサービス」として、旅客列車に連結されたのが荷物車だからです。例えば1960(昭和35)年まで運行されていた、昼行特急列車の客車は編成端に半室荷物室が設けられており、乗客の荷物を預かっていました。JR東日本や大井川鐡道で動態保存されているオハニ36形には、そうした目的に使われるための半室荷物室が、今も存在します。
後に「ブルートレイン」と呼ばれる寝台特急列車にも、電源車に半室荷物室が備えられました。こちらは乗客の荷物ではなく新聞輸送用でした。現在でも秋田県小坂町の宿泊設備「ブルートレインあけぼの」の電源車カニ24形500番台に半室荷物室が現存しますが、施設維持の関係で、荷物室に発電機が設置されています。
さて、当時の貨物列車は1両ごとに貸し切られ、用途ごとに様々な貨物を運んでいました。冷凍車、家畜車、活魚車など、用途別の車種も存在しました。現在では「コンテナ」で貨物の種類に合わせた輸送が行われています。
こうした業者の貸切による大規模な貨物を運ぶわけではない荷物車は、特に地方路線では合造車として多く見られました。現存するものだと、一般客室と荷物室を持つデハニ50(一畑電車)、スロニ201(大井川鐡道・現役。ただし、荷物室は客室化)や、郵便車と荷物車を1両にまとめたスユニ50形(小樽市総合博物館)、一般客室と郵便車と荷物車を1両にまとめたオハユニ61形(碓氷峠鉄道文化むら)、キハユニ25形(小樽市総合博物館)などです。
当時の旅客列車や荷物列車は夜行列車として走ることも珍しくなかったため、スユニ50形の車内には寝台設備や居住設備が設けられていました。合造車の中でも郵便車は、言わば「走る郵便局」であり、郵便を仕分ける機能を車内に備えていました。郵便の量が多い幹線では1両まるまる郵便車ということもあり、のと鉄道の能登中島駅で保存されているオユ10形がその例です。
コメント