戦闘機に“戦車砲”そもそもなぜ付けた? 無理あっても奮戦した旧陸軍機 「双発戦闘機」の顛末

対爆撃機用として再出発

 1939(昭和14)年に「キ45」の試作機が完成しますが、エンジン出力が低いこともあり、最高速度が480km/hに留まるなど性能は要求性能に及ばず、不採用となります。エンジン換装や機体形状の見直しで、最高速度520km/hに達したのを見た陸軍は、翌年に第二次性能向上機として開発を継続。第二次世界大戦緒戦でBf110が活躍したのを知った陸軍は、双発戦闘機に期待していたのです。

 しかしこの年に起こった「バトルオブブリテン」で、運動性能に劣るBf110は、イギリス空軍の単発戦闘機「スピットファイア」「ハリケーン」に撃墜され、単発戦闘機のBf109が護衛につく状況でしたが、陸軍は把握していませんでした。

「キ45改」の機首には20mm機関砲1門、12.7mm機関砲2門が装備されました。「キ45改」は1942(昭和17)年に「二式双発戦闘機」として採用。ただし、最高速度547km/h、航続距離1500~2000km程度の性能は、例えば海軍の零戦二一型(最高速度533km/h、航続力は最大3350km)と比べても大したことはなく、運動性では大きく劣りました。

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「屠龍」の胴体部分。斜め上に伸びているのが斜め銃(画像:スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター[CC BY-SA 2.0])。

 同年4月より実戦投入された二式双戦は、アメリカ軍の単発戦闘機P-40に運動性で劣り、対抗できないことが判明します。戦闘機相手に「使い物にならない」と見なされた二式双戦でしたが、単発機の一式戦闘機がB-17爆撃機に苦戦する状況下で、別の活用方法が考えられます。それは「爆撃機キラー」でした。

 二式双戦は胴体下面の武装を九五式軽戦車の主砲である九四式37mm戦車砲に換装。これを乙型としました。命中すればB-17でも一撃の武装でしたが、単砲身の戦車砲ですから1発ごとに装填が必要で、30秒に1発しか撃てませんでした。このため、発射速度120発/分の37mm機関砲「ホ203」を開発し、これを搭載し丙型としました。

「双胴の悪魔」の異名も 異形すぎる双発戦闘機(写真)

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コメント

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1件のコメント

  1. センチとミリの誤記でオート・メラーラが積まれたのかと思いました 笑

    結果、戦闘行動半径800km(航続力2000km程度)、最高速度540km/h、12.7cm機関砲装備とされました。

    「12.7cm」→「12.7mm」
    かと思いますのでご確認ください。