戦闘機に“戦車砲”そもそもなぜ付けた? 無理あっても奮戦した旧陸軍機 「双発戦闘機」の顛末
本土防空戦に投入 B-29と対峙
陸軍はさらに、20mm機関砲を斜め上に向けた「丁装備」も実戦投入します。これは、海軍の十三試双発戦闘機が失敗した後、斜め上に向けた機銃を装備し、夜間戦闘機「月光」として活躍していることに触発されたものでした。
さらに陸軍は、40mm機関砲を装備した戊型や、57mm機関砲「ホ401」の装備機も試作。57mm砲弾は20mm機関砲弾の18倍の威力があり、9発が搭載されました。しかし、二式双戦の後継機である「キ102乙」ですら、57mm機関砲装備は荷が重く、夜間に発砲すると閃光で搭乗員の目がやられる問題もありました。実戦では「キ102乙」が1945(昭和20)年、B-29に命中させた1例に留まっています。
二式双戦は1944(昭和19)年に「屠龍」の愛称が付けられ、日本本土防空戦に投入されました。とはいえ超大型爆撃機であるB-29は、速度・上昇力・高高度性能の全てで「屠龍」を上回り苦戦。そのようななか樫出 勇大尉のように、「屠龍」でB-29を26機も撃墜したエースも登場しました。
特に1945年よりB-29が夜間無差別攻撃に転じると、「屠龍」は37mm砲や20mm上向き砲で迎撃任務に当たります。しかし硫黄島陥落後、単発戦闘機P-51DがB-29に随伴するようになると、「屠龍」は夜間戦闘と対艦特攻に用いられ、終戦を迎えました。
結局、双発戦闘機で単発戦闘機に対抗できたのは、ドイツ軍のジェット機Me262を除けば、アメリカ軍のP-38「ライトニング」だけでした。P-38は双発ながらも単座(双胴)であり、より高速性を追求できたのです。
旧日本陸軍にも、旋回機銃を廃止のうえ後部座席には基本的に乗員を置かない双発戦闘機「キ-83」の試作機で、最高速度686.2km/h(アメリカ軍の試験では762km/h)を記録。操縦性にも優れていました。「キ45」の時点でこのようなコンセプトが得られなかったことは惜しまれます。
【了】
※誤字を修正しました(8月13日15時20分)。
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
センチとミリの誤記でオート・メラーラが積まれたのかと思いました 笑
結果、戦闘行動半径800km(航続力2000km程度)、最高速度540km/h、12.7cm機関砲装備とされました。
「12.7cm」→「12.7mm」
かと思いますのでご確認ください。