今や激レア!「“東京直通特急”が走るローカル私鉄」に乗る かつてはもっと遠くから直通も!?
伊豆半島の三島~修善寺間を結ぶ伊豆箱根鉄道駿豆線は、東京駅への直通列車が90年以上前から走るなど歴史的な観光路線でもあります。近年はアニメとのタイアップなどでも盛り上がる同線に乗りました。
3回も経営者が変わり「西武グループ入り」
静岡県伊豆市の修善寺エリアは、かつて文豪・夏目漱石や井伏鱒二などが滞在した温泉街で、「伊豆の小京都」とも呼ばれる観光地です。地名の由来となった修善寺は、弘法大師(空海)が807年に開基した寺院であり、長い歴史を持ちます。
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このため明治時代から、湯治客の便を図るための鉄道建設が求められました。当初は沼津を起点とする予定でしたが、東海道本線敷設時に駅がなかった宿場町・三島が土地を寄付するなどして誘致した結果、1898(明治31)年に、豆相鉄道の三島町(現・三島田町)~南條(現・伊豆長岡)間が開業。1899(明治32)年までに、三島(現・JR御殿場線下土狩)~大仁間を延伸します。もともと国有鉄道とは、現在の御殿場線と接続していたのです。
豆相鉄道はその後、伊豆鉄道、駿豆電気鉄道、駿豆鉄道と目まぐるしく経営者が変わりました。駿豆鉄道に譲渡された直後の1918(大正7)年、三島町~大場間の一部区間が電化され、社名が変わった後に電気鉄道となっています。この時期、箱根土地株式会社(現・西武・プリンスホテルズワールドワイド)が、箱根周辺の鉄道や遊覧船を買収しており、駿豆鉄道も1923(大正12)年に傘下に。現在まで続く西武グループの一企業となりました。
続いて1924(大正13)年に修善寺まで延伸されると、1933(昭和8)年から、東京駅方面への直通列車が週末に運行されるようになります。まだ伊東線も全通していない時期で、伊豆急行もまだなく、当時の修善寺重視がうかがえます。
現在の路線となったのは1934(昭和9)年のことで、丹那トンネル開通によって東海道本線の経路が変更され、起点が新設の三島駅に変更されました。なお、1938(昭和13)年に、駿豆鉄道は駿豆鉄道箱根遊船に社名変更し、1940(昭和15)年に元に戻っています。
太平洋戦争による直通列車中断の後、1949(昭和24)より、国鉄準急「あまぎ」が東京駅から乗り入れます。デビューしたばかりの80系電車が使われますが、駿豆線内では架線電圧が600Vしかなく(国鉄は1500V)、性能を低下させて走行していました。1957(昭和32)年、またも社名は伊豆箱根鉄道に変更されます。
地名の由来となったお寺は「修善寺」ではなく「修禅寺」では。
大場駅は運転停車ではありません。
通常の停車駅です。
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。