「速さ」から舵を切った? 国鉄・JRと勝負し続ける近鉄「名阪特急」 競争の80年

名古屋~大阪間を結ぶ近畿日本鉄道の名阪特急は、近鉄で最も歴史のある特急列車です。国鉄特急、東海道新幹線といった強敵を相手に、独自の魅力を追求してきました。

名阪間をノンストップ

 名古屋と大阪。日本有数の大都市であるこの両者を結ぶ鉄道は、長らく熾烈な競争を重ねてきました。

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近鉄12000・12200系電車「スナックカー」(安藤昌季撮影)

 名古屋~大阪間の官営鉄道(現・JR)に最初に競争を挑んだのは、関西鉄道です。1900(明治33)年に現在のJR関西本線ルートが完成し、名古屋~湊町(現・JR難波)間を直通するようになると、関西鉄道は運賃の値下げや食堂車連結、小物のサービスなどを打ち出して官鉄に激しく対抗しました。

 1907(明治40)年に関西鉄道が国有化されると、競争はいったん収まったものの、今度は近畿日本鉄道(近鉄)の前身である参宮急行鉄道が1938(昭和13)年までに、名古屋までの私鉄ルートを構築します。その後1944(昭和19)年の近鉄発足を経て、太平洋戦争後の1947(昭和22)年、早くも上本町(現・大阪上本町)~近鉄名古屋間で有料特急列車の運行を開始しました。

 なお、これは戦後で最初の有料特急運行でもありました。しかし、近鉄大阪線と名古屋線の軌間が異なるため、この特急列車は伊勢中川駅での乗り換えが必要でした。

 車両は大阪線に2200系電車が投入され、「国鉄二等車(現・グリーン車)」並みといわれた座席間隔1820mmの固定クロスシートと、当時は珍しい電気暖房を備えました。最高速度110km/h、33パーミル(1000m進むと33m上る勾配)という急勾配でも65km/hを発揮できる、当時としては破格の高性能電車は登場時、「日本一の電車」とまで呼ばれ、編成を構成する1車両デトニ2300形には側廊下式の個室まで備わっていました。

 一方の名古屋線には転換式クロスシートを備えた6301系電車が投入され、どちらも黄と青の特急色をまといました。1959(昭和34)年、名古屋線が標準軌に改軌されると、2階建て車両「ビスタカー」を連結した10100系電車が、大阪側の鶴橋駅と近鉄名古屋駅とをノンストップで結ぶようになります。

 1961(昭和36)年には、伊勢中川駅でのスイッチバックも解消され、鶴橋~名古屋間の所要時間は甲特急(ノンストップ)で2時間13分でした。国鉄特急も豪華な151系電車で大阪~名古屋間を2時間11分で結び、対抗します。

近鉄キラー? 立ちはだかった国鉄の特急とは(写真)

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