通話も通知もできない「鳴るだけ防犯ベル」なぜ設置? 列車の治安と国鉄の苦肉の策 でも10年ほどで消滅
1960年代、列車内での強盗事件が相次いだことを受け、国鉄は客車に「車内防犯ベル」を設置しました。乗務員には直接通報できないこの装置が導入された背景と、その後の顛末を追います。
車内防犯ベルを設置した効果は?
国鉄は被害の実態を把握し、鉄道公安官の対応を強化しますが、人手不足の公安職員に普通列車への警乗を拡大する余裕はありません。そこで、ハード面の緊急対策として行ったのが「車内防犯ベル」の設置でした。
防犯ベルは各客車の窓際帽子掛け(フック)付近に計6か所設置し、押すと他のベルも鳴り出します。これで犯人を驚かせるとともに、周囲の乗客に注意を促すものでした。1962年に東海道、山陽、東北、高崎線の一部列車に取り付けられ、翌年には全国各線区に展開。1964(昭和39)年度末には客車約1000両の約15%に設置されていました。
しかしその後も被害は増え続けました。1963年に国鉄が設置した「寝台盗情報センター」の調べによると、1964年末頃まで1か月あたり約40件程度だったのが、1965(昭和40)年春は80件程度、秋は100件近くに増加してしまったそうです。就寝中の窃盗ですから容易に気付けるものではありません。残念ながら防犯ベルの効果は限定的だったと言わざるを得ないでしょう。
状況を改善したのは、鉄道公安官の地道な対応でした。それまで個々の公安官が対応していましたが、横の連携を強化しグループを組んで警戒したところ、2~3か月で40人もの窃盗犯を逮捕して被害件数が大幅に減りました。
とはいえ、これで全て解決というわけではありません。国鉄は1966(昭和41)年から「夏の鉄道犯罪防止運動」を展開し、旅行客・帰省客の混雑に乗じた犯罪への警戒を呼び掛けました。案内文には「乗車のために並んでいる行列への割込、座席の不当占拠によるけんか、混雑に乗じた不正乗車、婦女子に対するいやがらせ、軽装と仮眠を利用した窃盗犯」とあります。根っこは現代のマナーキャンペーンと同じように見えますが、それが暴力行為につながってしまう時代だったのでしょうか。
そんな時代のあだ花といえる車内防犯ベルでしたが、すぐに役目を終えました。『国鉄百年史』は、「社会の安定とともに使用度も減少したため、検査の手数など保守面を考慮して逐次撤去された」と記しています。時期は明記していないものの、同書は1974(昭和49)年の発行なので、1970年代初頭には撤去されたものと思われます。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





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