MiG-25函館へ! 冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは

事件がもたらした日本の防衛体制の見直し

 日本では事件後、航空自衛隊がMiG-25を一時的に見失ったことが問題となり、その結果、当時機種選定が進められていた新戦闘機には、当時としては最高レベルのルックダウン/シュートダウン能力を持つ、AN/APG-63レーダーを搭載するF-15が選ばれました。また、当初は高額で導入機数が少なく見積もられていたF-15を補完するため、F-4EJに大幅な近代化改修をおこなう計画でも、ルックダウン/シュートダウン能力の強化が盛り込まれ、改修を受けたF-4EJ改には、APQ-120よりも大幅にルックダウン/シュートダウン能力が改善されたAN/APG-66Jレーダーが搭載されることとなりました。

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航空自衛隊のF-4EJ改「ファントムII」(画像:航空自衛隊)。

 航空自衛隊はMiG-25亡命事件の発生以前から、地上のレーダーでは発見しにくい低空を飛行する目標を探知できる早期警戒機の導入を検討していましたが、予算不足で実現していませんでした。しかしMiG-25亡命事件により、早期警戒機を導入する予算を獲得できる目処が立ったことから、亡命事件から3年後の1979(昭和54)年に「E-2C」早期警戒機の導入を決定。1983(昭和58)年から運用を開始して、現在に至っています。

 亡命事件により日本、アメリカ、ソ連に様々な影響を与えたMiG-25ですが、2018年現在、ロシアでは改良型のMiG-31に後を譲って退役。またソ連崩壊時にMiG-25を分配されたウクライナやベラルーシ、輸出されたイラクやインドなどでも退役していますが、アルジェリアやシリア、リビアでは、ごく少数の機体が運用されているようです。

【了】

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コメント

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4件のコメント

  1. 本文中にもありますが、函館駐屯地ては色々とあったと亡き父から聞いてます、函館空港は海から近い事もあり海自も臨戦態勢だったようですが詳細は今となっては分かりません。何故か函館空港は事件の舞台になるのか不思議です、全日空機ハイジャックがあったのも函館空港

  2. 日本が最前線のひとつであると認識させる事件ですね

  3. 現在の戦闘機に求められるのが、マルチロール性とステルス性なんだから、不思議に思う。

  4. 当時私は北海道の大学の3年でした。寝ていると後輩が「先輩!戦争です!」と大声をあげながら私の部屋のドアを叩き、青ざめた顔で入って来ました。『この歳じゃ当然行くしかないだろうな。』って早合点して悲しくなりながらTVを点けて実情を確認しました。その日から上空を飛び交う戦闘機やヘリが増え、国道を走る自衛隊車両も増えた記憶があります。