日本の戦車100年 始まりは神戸のマークIV、そこから世界有数の「原産国」に至るまで

消えかけた戦車開発の火

 しかし、太平洋戦争(第二次世界大戦)では洋上での戦いがメインとなったことから、日本は限りある資源や生産基盤の重点を航空機や艦艇に振り分け、戦車は二の次とされました。しかも、そのあいだに欧米の戦車は短期間で世代交代を繰り返して高性能化したため、わずか5年ほどのあいだに日本の戦車技術は陳腐化してしまったのです。しかも敗戦によって日本陸軍は消滅、日本の戦車に関するノウハウは途切れるかに思えました。

 ところが運命の女神は気まぐれなものです。一旦は非武装化していた日本ですが、1950(昭和25)年にお隣の朝鮮半島で戦争が始まると、一転して日本にも武力が必要とされ再軍備が進められたのです。しかも戦車も必須として、アメリカからM24チャフィーやM4シャーマンといった大戦型戦車(この場合、第二次世界大戦期の戦車を指す)が供与されましたが、将来を見据えるとこれらは早々に旧式化するため、戦後型戦車の導入が急がれました。

 とはいえ、この時も輸入か国産開発かが問題となりました。しかし輸入については、供給先のアメリカが最新鋭戦車の優先配備先をヨーロッパと見据えていたことから、日本が要求しても後回しにされる懸念がありました。またすでに供与されていたM4シャーマンが日本人の体格に合わず使い難かったことから、日本の国情に合わせた戦車が要望されたのです。

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戦後初の国産戦車となった61式戦車。排気管や車体前面形状などに旧軍戦車の面影を残している(月刊PANZER編集部撮影)。

 しかも1952(昭和27)年の主権回復(占領状態の終結)に伴い、在日米軍駐留経費が日本に返還され、またアメリカによる対外援助によって開発費用の目処が立ったことで戦車の国産開発がスタート、こうして戦後初の国産戦車として61式戦車が誕生したのです。

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コメント

2件のコメント

  1. 戦前の八九式から冷戦期の74式まで、マフラーの取り回しとカバーのデザインを引きずっていたのが面白いと思ってる。
    国ごとの個性って、こんなふうに出るものなのか。

  2. いくらなんでも「原産国」は言い過ぎでは?