0番線はなぜ誕生? 始まりが1にならなかった各駅の事情 「れい」と読んでPRする駅も
他社への影響を避ける場合も0番線が生まれる
首都圏では、東京メトロ千代田線 綾瀬駅のケースがそれにあたります。綾瀬駅0番線は北綾瀬行きの折返し電車が発着するホームで、1985(昭和60)年、1番線ホームの先端を切り欠いたところへ新規に作られました。
綾瀬駅には当時、すでに4番線までホームがあり、さらにホームを付け足すとすれば5番線になりますが、そうなると1番線の隣が5番線となってしまい案内上不適切なため、0番線と命名されました。
このほか0番線が生まれるケースとしては、複数の鉄道会社がホーム番号を共有している駅でも見られます。
たとえばJR東日本と京成電鉄が乗り入れる日暮里駅(東京都荒川区)では、ホームが京成電鉄とJRで通し番号になっており、駅本屋に近い京成が1番、2番線、JRのホームは3~12番線(5~8番線は欠番)となっていました。
ところが京成電鉄が日暮里駅の改良工事を行い、スカイライナーの乗車ホームを増設した結果、ホームがひとつ増えることになりました。この際、1番線から付番し直すとJRの番線も変更することになるので、影響が他社に波及しないよう京成線の上野方面を0番線としました。なお、同じく日暮里駅に乗り入れる日暮里舎人ライナーは、JRや京成とやや駅の位置が離れているためか、独立して1番線、2番線を付番しています。
このように他社に影響を及ぼさずに番線を追加する場合、私鉄や第三セクター鉄道のホームが0番線となるケースが見られます。
どうせならJR東京駅の付番も触れればよかったのにと思いますが…
(1~4番線が複数ありますよね?)
昔の地表駅時代の熊本駅にも0番線が複数あって豊肥0番だや0A, 0Bなどの呼称が使われていました。
かつての国鉄型配線駅(2面3線)で、
本屋側に隣接する貨物1番線(or貨物2番線)を、貨物営業廃止後に
短編成旅客列車折返し専用ホームとして0番線とするケースもまま見られます。
逆に島式ホーム2面4線を列車削減により2面3線として本屋とホームを隣接させている駅も。
この場合は1番線が欠番になっていたりします。
また、駅の番線には旅客案内用の「営業番線」と運転・信号設備上の「運転番線」があり、
同じ数字の番線を付与している駅もあれば、全く異なる番線だったり。
(ホームのない線であっても名称は運転・信号取扱上必須のため)
CTC化に伴い指令員の取扱統一を目指し線区内で揃えるために下り1番線上り2番とした結果、
本屋と反対側から1番線、2番線…となってしまった駅も。
ちなみに東京駅の場合、横須賀・総武快速線は「地下1番線~4番線(地1~地4)」、
京葉線は「京葉地下1番線~4番線(京1~京4)」となります。
番線ではありませんが地上ホームは京浜北行・山手内回りホームが第1ホーム、
山手外回り・京浜南行ホームが第2ホーム。高架になった中央快速線は「第01ホーム」。