0番線はなぜ誕生? 始まりが1にならなかった各駅の事情 「れい」と読んでPRする駅も
かつて本屋側に2線以上増えた大阪駅 「マイナス1番線」とも
このほか、変わった0番線の活用例としては、米子駅(鳥取県米子市)のJR境線ホームが挙げられます。米子駅の場合も1番線の本屋側にホームを増設したことで0番線が生まれたのですが、境線の終点となる境港は妖怪漫画で有名な水木しげる氏の出身地。これをアピールするため、「0(れい)」と「霊」をかけて「霊番線」「霊番のりば」とも呼称して、観光客にアピールしています。
ところで、これまではホームが本屋側に1線増えたケースを紹介しましたが、2線以上増えた場合はどうなるのでしょう。
過去の例としては、大阪駅に大阪環状線ホームを新設する際、すでに0番線まで拡張されていたにもかかわらず、さらに本屋側にもう1線追加したことがあります。
工事中の資料などによると、このときは「マイナス1番線」と呼ばれたこともあったそうですが、さすがにマイナスを使うのは旅客案内上好ましくないことから、大阪環状線ホーム完成後はそれぞれ「環状1番線」「環状2番線」と命名することで、東海道本線の1番線や2番線と区別していました。
なお、大阪駅はその後、大規模な駅改良工事を行って発着番線を整理した結果、大阪環状線ホームは「環状」がとれた1、2番線(のりば)となり、独特な付番方法は解消されています。
【了】
Writer: 児山 計(鉄道ライター)
出版社勤務を経てフリーのライター、編集者に。教育・ゲーム・趣味などの執筆を経て、現在は鉄道・模型・玩具系の記事を中心に執筆。鉄道は車両のメカニズムと座席が興味の中心。座席に座る前に巻尺を当てて寸法をとるのが習慣。言うなれば「メカ&座席鉄」。
どうせならJR東京駅の付番も触れればよかったのにと思いますが…
(1~4番線が複数ありますよね?)
昔の地表駅時代の熊本駅にも0番線が複数あって豊肥0番だや0A, 0Bなどの呼称が使われていました。
かつての国鉄型配線駅(2面3線)で、
本屋側に隣接する貨物1番線(or貨物2番線)を、貨物営業廃止後に
短編成旅客列車折返し専用ホームとして0番線とするケースもまま見られます。
逆に島式ホーム2面4線を列車削減により2面3線として本屋とホームを隣接させている駅も。
この場合は1番線が欠番になっていたりします。
また、駅の番線には旅客案内用の「営業番線」と運転・信号設備上の「運転番線」があり、
同じ数字の番線を付与している駅もあれば、全く異なる番線だったり。
(ホームのない線であっても名称は運転・信号取扱上必須のため)
CTC化に伴い指令員の取扱統一を目指し線区内で揃えるために下り1番線上り2番とした結果、
本屋と反対側から1番線、2番線…となってしまった駅も。
ちなみに東京駅の場合、横須賀・総武快速線は「地下1番線~4番線(地1~地4)」、
京葉線は「京葉地下1番線~4番線(京1~京4)」となります。
番線ではありませんが地上ホームは京浜北行・山手内回りホームが第1ホーム、
山手外回り・京浜南行ホームが第2ホーム。高架になった中央快速線は「第01ホーム」。