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東武鉄道 東上本線から本線まで最短で行くルート
都心よりなら、JRで池袋から北千住、その次が地下鉄大手町まわり、地下鉄表参道まわり、総武線亀戸かな。 埼玉県西南部であれば、川越から大宮だろうか。上福岡辺りから大宮行きバスもあるはず。 高いのは、寄居から羽生、または高崎経由伊勢崎。
川越線などの北回りでは、余計に時間が掛かりそうですし、 どうせ乗るならお目当ての列車に出来るだけ長く乗りたいところでしょうから、 やはり一旦池袋に出て、特急停車駅を目指す方向で。 乗り換え案内では池袋から山手線で西日暮里、千代田線で北千住が最短となっていますが、 北千住駅構内の乗り換えが長いので、 日暮里駅から常磐線快速で北千住の方が安上がりで、歩くのもだいぶマシでしょう。 多少歩いても良ければ、上野で銀座線乗り換えで浅草駅へ行けば、東武特急にはフル乗車出来ますね。 なるべく歩かないのであれば、 東上線から有楽町線直通にて、永田町乗り換えで半蔵門線で北千住、でしょうか。 永田町でどの位歩くのか心配は残りますが、池袋での移動がゼロ、北千住では特急ホームへの移動程度でしょうか。 オススメ出来るほどは詳しくないのですが、 東武宇都宮駅北東、徒歩10分程度かと思いますが「宇都宮餃子会 来らっせ」という施設がある様です。 規模はともかく「新横浜ラーメン博物館」のような物でしょうか。お店が集まっているだけで、レトロな町並みの再現までしている様子ではないようですが。 付近にはその他の餃子店が多数ある様ですので、ハシゴして食べ比べするのも一興かも知れませんね。 泊まりでしたら、「道の駅 うつのみやろまんちっく村」までバスで30 分少々です。 大規模な道の駅で、施設やイベントも多く、駅内での宿泊も可能です(だったと思います) 自分も一度行ってみたいと思っています。
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C57型蒸気機関車ですね 均整の取れたスタイルは国鉄蒸機の中でも1,2を争う美しさだと思うのですが、どうにも気に入らないのが、足回りのボックス動輪ですね あれがスポーク動輪であれば文句はないのですがねぇ 「貴婦人」の足元がハイヒールではなく、運動靴履いてるみたいに見えるのですwww
キハ187系の前面形状ですね。 税金を投入しての高速化で、車両コストを少しでも落とすためとはいえ、のっぺらな前面形状はいただけません。 いかにも空気抵抗は大きそうだし、実際トンネルの進入速度制限かけられたりしているわけです。歴代特急車両の顔で好き嫌いはあっても、それ以外の感情を持つのはあまりなかったと思います。 エンジンや振り子式台車等の走行装置は申し分ないのにもったいないなと思います。数回乗車経験がありますがディーゼル特急としての乗り心地は快適なのに残念です。
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解決済み駅名と所在地の自治体が違う駅
静岡県の浜松市西区にある、舞阪駅。 合併前の浜名郡舞阪町の名を冠していますが、駅は浜松市馬郡町にあり、駅のすぐ近くに舞阪町との境界があります。 合併した今では舞阪町も馬郡町も同じ浜松市西区になりましたが。
今回も、思い当たる所から3駅お答えします。 (1) 清洲駅(JR東海・東海道本線/愛知県稲沢市) 信長ゆかりの清洲城の北西約1kmにある駅ですが、同城が清須市内にあるのに対し、駅は市境を1つ越えた稲沢市側にあります。 周辺は比較的早くから工業化されていたようで、現在も貨物取扱当時の名残と呼べそうな側線がいくつか設けられています。駅名と所在地の不一致は、沿線工場からの貨物輸送の便宜を図った結果かと思われます。 なお、競合する名鉄名古屋本線の新清洲駅は、清須市内に位置しています。 (2) 四条畷駅(JR西日本・片町線[学研都市線]/大阪府大東市) 四條畷の名を持つ自治体が生まれるよりも早く1895年(明28)に開業した駅で、その後の自治体再編によって大東市側に属することとなり、駅名から連想される四條畷市の領域からわずかに外れる形になっています。 (3) 淀川駅(阪神電気鉄道・阪神本線/大阪市福島区) これは前2例とは明らかに成り立ちが違うパターンで、路線及び駅開業時の地理的条件が直接駅名へ反映されたと見られるものです。 しかも、この駅が存在する場所は「淀川3区(東淀川・淀川・西淀川)」のある淀川右岸側ではなく、それらと向かい合う左岸側であるということが、駅名と立地との関連性を殊更ややこしいものにしています。
北海道の宗谷本線雄信内駅 雄信内という集落は天塩川左岸の天塩町に位置していますが、駅は対岸の幌延町雄興という地区にあります 宗谷本線は士別以北は天塩川に沿って伸びていますが、雄信内に駅を作るためには橋梁を2つ作らねばならず、それを避けるためにこのような事になっています ちなみに、駅名は「おのっぷない」ですが、天塩町雄信内の住居表示は「オヌプナイ」、我々が呼ぶときは「おのぶない」と言っております
読み方ではなく漢字表記が違う例です。 茨城県龍ケ崎市にある、関東鉄道の駅名は「竜ヶ崎」です。「りゅう」の字体が違います。「ケ」と「ヶ」も違います。 JR常磐線の駅は「佐貫」です。ただ来春に地元龍ケ崎市の要望で「龍ケ崎市」駅に改称されます。 佐貫駅は明治33年(1900年)開業の歴史ある駅です。駅名は元々地名由来で、現在も茨城県龍ケ崎市佐貫町にあります。 駅名では無いですが、「牛久沼」は全領域が「龍ケ崎市」に属しています。沼岸は龍ケ崎市、牛久市、つくば市、つくばみらい市、取手市に囲まれています。
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思い出の車両吊り掛け駆動
昭和50年頃は、まだ、釣りかけ車は各地で現役でした。江ノ電、箱根登山、銚子、上毛等はカルダン車がまだ、入っていませんでした。 国鉄の買収路線や西武、東急、京王、東武、京成、京急では淘汰がされつつありました。東武では冷房搭載の5050系への更新も進められていました。淘汰が開始されたのは、大型高性能車両増備で輸送が間に合う見込みがついたところからですね。そんな中から営団銀座線1300形、江ノ電500形・1000形、西武351形、銚子300形、東武5700系、国鉄クモハ52形、国鉄クモハ12形、栗鉄M151形、秩父100形、京王5100・2700形、東急80形、東京都7000形と更新車が印象深いです。
名鉄の6750系。 作られた当時としては「瀬戸線で一番新しい車両」だったのですが台車などが3900系AL車の廃車流用品でした。 瀬戸線にはほかにもHL車の3780系というのもありました。 余談ですが6750系のうちでも2次車は台車をカルダンに変えるつもりで準備していたとかなんとか…結局廃車になりましたが。
吊り掛け電車の音、大好きです 鉄道サウンドではSLの音以上に萌えますね 我が札幌はまだ路面電車が現役なので、音は楽しむことができますが、やはり路面電車よりは一般の郊外型電車で味わいたいものです とはいえ、現在では難しくなっているでしょうね 琴電のようにイベント的な旧型電車運転時くらいしか機会は無いのかもしれませんね 私の学生時代(40年前ですが)はまだ小田急の4000系や1800系(元国鉄63型)が現役でしたので良く利用していました 4000系に乗車する度に、新しい車なのに古くさい音だなぁなんて思ってました(車体更新車ということを知らなかったもので) ただ、当時横浜線を走っていた72系に乗りに行かなかったことと小田急の配送電車(吊り掛け音を響かせながら各駅に新聞を配ってました)を撮影しなかったことは今でも悔やんでいます 「いつでも乗れる、いつでも撮れる」なんて思ってたら…(泣) 21世紀になるとさすがに吊り掛け電車に乗車するチャンスも少なくなり、2001年に東武桐生線で5000系に乗車したときは、まだ現役だったかと嬉しくなりましたね 同年には小野田線のクモハ42にも乗車、元急行用電車の音を堪能しました 2006年に琴電に行った時、2連の新型に1両の旧型が連結されていて、はじめは回送車かと思いましたが、当時は朝ラッシュ時に旧型が増結されており普通に乗車できました(お正月だったからガラガラでした) 車内ではモーター音を録音する人もいて、フィルムカメラしか持たなかったことをまたまた後悔しましたね(いまならデジカメで簡単に動画や音を保存できるのですがね) この時は志度線の30型(旧京急230型)にも乗車、本来なら子供に譲るべき最前列に陣取り、一人ニコニコしておりました また、四国からの帰途には小田原から箱根登山鉄道のモハ1にも乗車しての「旧型電車三昧 (大げさな…)」の旅でした 学生時代にはさほどではなかったのに、旧型電車とは無縁の北海道に帰ってきてからは俄然興味が湧いてきて、当時80系や52系が現役で走っていた飯田線や身延線に行かなかったこと、またまたまた後悔しております(泣) 思い立ったら、即行動 これが大事ですな
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途中で左右に向きを変えるエスカレーターはありますか?
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久留里線の上総亀山駅から先は路線バスで移動できますか?
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解決済み路線内に、路線名になってる駅が無い路線
奈良線(JRの) 電車そのものは奈良駅まで行ってますが奈良線としての区間は京都駅~木津駅(木津駅と奈良駅の間は関西線)です。 つまり奈良駅どころか奈良県に達してません。 因みに広見線の名前の由来ですが…JR可児駅及び名鉄新可児駅の東濃鉄道(=現在ある同名のバス会社とは別会社です)時代=つまり開業当初の所在地周辺の地名が「広見町」で駅名も「広見駅」「新広見駅」だったことによるものです。 当時は可児川左岸にありました。 昭和3年に旧今渡町(可児川右岸)の領域にある現在地に移転した後もなぜか改名せず可児市の市制施行とともに現駅名になりました。
名鉄広見線には「広見」という駅はありませんね あと、安房小湊までたどり着けなかった小湊鉄道、群馬(上州)や長野(信州)に延伸できなかった東武東上線(東上鉄道)や上信電鉄もありますね 廃線区間が入りますが…、北海道の札沼線 札幌の隣の桑園が起点で、終点の石狩沼田に至る新十津川以北は廃止になってます 実質的に廃線状態の日高本線 日高〇〇という駅名はいくつかありますが、「日高町駅」は旧富内線にありました JR北海道の状態を考えれば、そのうちに根室本線や宗谷本線も「お仲間」に入りそうですね
ではちょっと意表を突いて・・・ JR横浜線 →そもそも横浜線内に横浜駅はなく、根岸線に乗り入れた先に横浜駅がある。 京王相模原線 →相模原駅(JR横浜線)はあるけど、京王線はここを通らず。(終点は相模原市の橋本駅) JR相模線 →関東圏では数少ない205系が走る路線ですが、そもそも相模駅がない。 (ちなみに上記の橋本駅からサザンオールスターズの地元・東海道線茅ヶ崎駅までを結ぶ単線) 西武多摩川線・西武多摩湖線 →それぞれ多摩川と多摩湖の近くを走るが、多摩川駅・多摩湖駅がない。 西武狭山線・西武山口線 →それぞれ狭山駅・山口駅がない。 (ただし狭山線に下山口駅はある) 東京メトロ丸ノ内線・千代田線・東西線・南北線・副都心線 →それぞれ丸ノ内駅・千代田駅・東西駅・南北駅・副都心駅がない。 都営大江戸線 →上記の路線と同様に、大江戸駅がない。 ひとまずこんなもんで。
(1) 八高線(JR東日本/八王子〜倉賀野) 「高」は高崎を意味しますが、路線としては1つ手前の倉賀野駅で高崎線に合流して終点です。ただし、倉賀野駅を経由する営業列車は全便が高崎駅まで乗り入れています。 (2) 名松線(JR東海/松阪〜伊勢奥津) 国鉄と参宮急行電鉄(参急、現在の近鉄の前身)が松阪〜名張間の鉄道建設で競合。参急線のほうが先に開業したため、松阪から西進してきた国鉄線は建設意義を途中で失い、盲腸線の地位に甘んじたままJR時代の今日に至ります。 名張駅は近鉄大阪線山岳区間の要衝ですが、もしここにJR線が伸びてきていたら…とも思いますね。 (3) 徳島線(JR四国/佃〜佐古) 1962年(昭37)から国鉄民営化までは徳島駅が起点でしたが、徳島〜佐古間が運賃計算上高徳線(幹線運賃を適用)の扱いであったため、1987年(昭62)の民営化の際に同区間が徳島線(地方交通線)の登録から外され、徳島駅は徳島線所属でなくなりました。 ただし、徳島〜佐古間のレールは当初から高徳線用と徳島線用の単線並列で敷設されており(JR四国の駅間としては唯一の例です)、完全に高徳線籍となった今でも「徳島線方面の列車だけしか走らない線路」が存在しています。
西武有楽町線と有楽町駅 これは早い者勝ちですかね
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JR西日本の普通電車
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解決済み思い出の乗り物
幼少期を高知で過ごしましたので、当時の印象深い乗り物を2つ。 1つ目は、国鉄最終期の土讃本線の花形であったキハ181系特急です。 全国に普及したキハ80系よりも男性的な顔つきに、猛々しいエンジン音。勾配区間での粘り強い走りも魅力的でした。 JR移行後には白と水色を基調にした新色へと衣替えしましたが、側面はともかく、国鉄気動車特有のいかつい前面にはややミスマッチに感じられたものです。 もう1つは、1974年(昭49)の土佐電鉄安芸線廃止後に配備された鉄道代替バスの車両たちです。 石油危機直後で新車の大量購入もままならず、初期には近県の瀬戸内運輸(愛媛)や宇野自動車(岡山)などから中古車両を買い入れて増便対応していましたが、2年ほど経つと冷房付きの新車(三菱ふそう・B805J型)が入り始め、以後サービスアップが顕著になりました。 B805Jもやはり力強い排気音が魅力で、夏になると冷房用のサブエンジン駆動音も加わり、「強者感」はただならぬものでした。
まだ、中央総武緩行線のE231系に一部残っていますが、JR東日本の6扉車です。 とくに山手線のサハE230-500はホームドア設置の関係で早々と4扉車に置き換えられ、他の線区に使われることなくあっさりと廃車。 扉の数が多かったので、朝ラッシュ時は4扉車よりも乗り降りが楽だったんですけど。
皆さんにとっては近年のことのように思われるでしょうけれど、JR東日本の400系新幹線です。新在直通車両の元祖ですし、銀色の車体は斬新でした。 山形新幹線の車両はE3系に変わってしまいましたが、400系が鉄道博物館に保存されたのは嬉しかったですね。 ちなみに、OM2さんの思い出の車両である155系「ひので」は、写真でしか見たことがありません…。
自分にとって思い出深いのは、JR東日本のE351系電車です。前にも別の質問で回答しましたが、地元でよく見ていた車両だからです。 保存されることなく全車両が廃車となってしまいましたが、名車の一つといっていいでしょう。
中央快速線で使われた201系でしょうか。それも、前面に大型電動幕式の種別表示器が取り付けられる前の姿ですね(いわゆる原型タイプ)。 101系、103系時代から続く大型の特快サボを付けた姿が好きでした。 それと、試作車が営業運転を開始したとき、記念乗車券をわざわざ三鷹駅まで買いに行ったことがあります。当時は「新型省エネルギー電車」と呼ばれていましたね。
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