「西武電鉄」「東急鉄道」とはならなかったワケ 私鉄の社名に見る世代間ギャップ
駅近接のやや大きな空間 貨物取り扱いの名残
貨物輸送は、モーダルシフトの進展により1970年代前後から縮小され、西武鉄道では1996(平成8)年、東武鉄道では2003(平成15)年に貨物列車が全廃となります。
西武や東武のいくつかの駅には、線路に隣接した不思議な空き地やコインパーキング、駐輪場が目に付きます。それらの多くはかつての貨物列車用の側線やそのホーム、倉庫だった箇所です。都心に近い場所では、橋上駅舎化でだいぶ痕跡が失われたものの西武池袋線の東長崎で、そのほかは清瀬、西武新宿線の井荻、田無、西武国分寺線の恋ヶ窪、小川、西武多摩川線の新小金井、競艇場前、是政などで、そうした空間と推定されるものが存在します。
東武スカイツリーラインには、牛田~北千住間で南に分岐する千住貨物線がありました。京成本線のガードをくぐり、隅田川に面した千住ドックまでを結ぶ路線でした。現在も、一部にレールが残されています。
一方、第3世代の路線になると、電車の性能向上により第1世代の路線には見られなかった急勾配区間が現れます。神田川の谷を走る西武新宿線は、下落合駅方面からカーブしながら高田馬場駅へと急勾配を上っていきますが、その代表例といえるでしょう。
ほかにも、地下化で地上区間は廃線となりましたが、東急目黒線(当時は目蒲線)の不動前~目黒間も挙げられます。目黒川の谷からJR山手線を見下ろす台地上の目黒駅までは、都内有数の急勾配区間でした。
世代別に路線を捉えると、乗車して車窓を眺める楽しみが増してきます。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
関西だと東武・西武と同様の第1世代にあたる南海は「電気鉄道」を名乗ってますが?
南海電鉄は当初南海鉄道でした。南海電気鉄道となったのは戦後に近鉄から分離されてからです。
テーマは良かったけど、相も変わらず話題の対象は首都圏近郊ばっかり、もっと全国に目を向けて寄稿した方が良いのでは・・・。
ちなみに関東以外の大手私鉄では名鉄・近鉄・西鉄が『~鉄道』❨名古屋鉄道・近畿日本鉄道・西日本鉄道❩、京阪・阪神が略称で『~電鉄』正式名称で『~電気鉄道』、阪急が正式名称で『~電鉄』と名乗ってます。
関東の大手私鉄では『~電気鉄道』を名乗る事業者はありません。❨中小私鉄では上信電気鉄道や上毛電気鉄道などがありますが~❩
訂正とお詫びのお知らせ(誤)西武電鉄と東急鉄道とあるのは(正)西武鉄道と東急電鉄の誤りでした、至急反映をお願いします。
「東武鉄道で電車が走り出すのは1924(大正13)年、浅草(現・とうきょうスカイツリー)~西新井間の電化完成以後です。」とありますが、現・とうきょうスカイツリー駅は、旧・業平橋駅です。
Wikipediaによれば
・1902年 吾妻橋駅(開業)→1910年 浅草駅(改称)→1931年 業平橋駅(改称)→2012年 とうきょうスカイツリー駅(改称)
・1931年 浅草雷門駅(開業)→1945年 浅草駅(改称)
このように改称の繰り返しなどで混乱するところですが、電化完成時(1924年)の「浅草駅」は今の「とうきょうスカイツリー駅」で間違いではありません。