都会のローカル線「東急池上線」が開業した日-1922.10.6 廃駅ほか壮大な延伸ルートも
五反田駅が高い位置にあるのはなぜ?
しかし、次々と新線を開業させていた目黒蒲田電鉄に、池上電気鉄道は吸収合併されます。1934(昭和9)年のことでした。新奥沢線も廃線になり、現在は新奥沢駅の跡地に記念碑が立っているのみです。なおもう1か所、池上電気鉄道が延伸をもくろんでいた箇所があります。五反田駅先です。
池上線の五反田駅はJR山手線のさらに上部にありますが、これは山手線を高架で越え、その内側に位置する白金猿町(現・都営浅草線の高輪台駅付近)まで到達しようとしたからでした。白金猿町には当時、銀座方面から東京市電が通っており、その乗り換え客を呼び込もうとしたのです。しかしこちらも、市電の五反田延伸などにより、実現することはありませんでした。
先ほど光明寺駅について触れましたが、同線にはもうひとつ廃駅が存在します。戸越銀座~大崎広小路間の桐ヶ谷駅です。同駅は終戦間際の空襲で焼失し休止され、戦後も復活することなく1953(昭和28)年に廃止されました。現在、痕跡はほとんどないものの、改札口があったと思しき場所は、東急電鉄の私道となっています。
3両編成の電車が行き交い、下町風情を残す沿線など「都会のローカル線」としても知られる全長10.9kmの池上線。活性化プロジェクトの一環で、2017年には「無料乗車デー」が設けられたほか、「木になるリニューアル」を通じて駅舎を木造化するなど、資源循環型まちづくりのモデル路線にもなっています。
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