ドイツ巡洋戦艦「グナイゼナウ」進水-1936.12.8 最期は自沈も一部砲塔は現存

行き詰まる通商破壊戦

 翌1942(昭和17)年2月、ブレスト港からドーバー海峡を通りドイツ本国を目指していた「グナイゼナウ」などの艦隊は、イギリス空軍の空襲に加え、洋上に敷設された機雷に阻まれます。沈没艦こそ出さなかったものの艦隊は損害を被り、また作戦そのものを継続するのが事実上不可能になりました。ここで「グナイゼナウ」は修理のため、ドイツ北部の軍港キールへ帰還します。

 同月26日、キールは連合軍の空襲を受けました。ドック内の「グナイゼナウ」には爆弾が命中し、弾薬庫に引火し大破します。しかしながら「グナイゼナウ」は約2か月の修理により航行可能な状態にまで復旧、そこで主砲の口径を28cmから38cmへ換装する計画が浮上しました。

 改修のため、ポーランドの港湾都市ゴーテンハーフェン(現・グディニャ)へ移動した「グナイゼナウ」ですが、1942年末にノルウェー沖で勃発したバレンツ海海戦の敗北を受け“廃艦”となることが決定します。この海戦も通商破壊戦を阻止しようとしたイギリス海軍とのあいだで起こりましたが、戦果を挙げられなくなって久しいなか、ドイツには大型水上艦艇を維持する能力がなくなりつつあり、それゆえの措置でした。

「グナイゼナウ」の砲搭は外され陸揚げされたのち、一部は当時ドイツの支配下にあったノルウェーやオランダの海岸などに備え付けられます。一方の船体は、ゴーテンハーフェンの港湾入口を塞ぐために1945(昭和20)年3月に自沈とされました。

 こうして、最後は味方の手によって沈められた「グナイゼナウ」。とはいえ、自沈から半年後に第2次世界大戦が終わったため、その後、浮揚・解体されています。

 ただ、取り外されていた「グナイゼナウ」の砲搭は、一部が戦後も残ったため、21世紀も見ることが可能です。特にノルウェーのアウストラット要塞に転用されたものは、博物館が併設されており、ガイドによるツアーも行われています。

【了】

【写真】「グナイゼナウ」を爆撃するイギリス軍機

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