現場はそりゃもう大混乱! 世界初の戦車戦 英「マークIV」vs独「A7V」の発生と顛末
「世界初の戦車戦」はいわゆる遭遇戦だった
1918年4月24日、ドイツ軍はフランス北部のアミアン近郊、ヴィレ=ブルトヌーを攻撃する3個の歩兵師団を掩護するため、A7Vを15両、投入しました。試作車や改造車を除いたA7Vの総生産台数は20両でしたので、ほぼ全力投入でした。
作戦開始前に2両が故障で脱落し、13両が前進、そしてその内の3両「メフィスト号(506号車)」「エルフリーデ号(542号車)」「ニクス号(561号車)」が、イギリス軍のひし形戦車「マークIV」3両と遭遇します。マークIVの内訳は、1両が57mm砲搭載の雄型、2両が機銃のみ搭載の雌型でした。
雌型「マークIV」の機銃ではA7Vに効果はなく、A7Vの徹甲弾で2両とも損傷を受けて退却を余儀なくされ、そして残った雄型1両が奮戦します。当時の戦車はまともなサスペンションもなく、低速とはいえ移動目標に照準するのは難しくて停止しての射撃しかできず、加えて車長と操縦手、砲手間の意思疎通も不自由でしたので動きは緩慢でした。
両軍とも初めての戦車戦ということで混乱したようですが、戦車の扱いにはイギリス軍に一日の長があったようで、マークIVが移動と停止を繰り返しながらA7V「ニクス号」に57mm砲弾3発を命中させたのは大したものです。砲弾は榴弾でしたので装甲を破ることはできなかったものの、3発も命中弾を受けた「ニクス号」は慌てて操縦を誤り行動不能となり、乗員は戦車を放棄して逃げ出します。他の2両も連携を取れないまま混乱して後退してしまいます。
また同日、別の場所でA7V「ジークフリート号(525号車)」がイギリス軍の「マークAホイペット」戦車7両と遭遇します。「ホイペット」の武装は機銃のみでA7Vに抗しえず、1両が57mm砲で撃破され、他3両がドイツ軍砲兵の直接射撃で撃破されています。こちらはA7Vの完勝です。
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