現場はそりゃもう大混乱! 世界初の戦車戦 英「マークIV」vs独「A7V」の発生と顛末
「世界初の戦車戦」のその後
1918年4月24日に発生した世界最初の戦車戦で、マークIVによって撃破されたA7Vはありませんでしたが、「メフィスト号(506号車)」が故障放棄となり、後にオーストラリア軍によって回収され、現在もブリスベーンのクイーンズランド博物館にて展示される唯一、現存する車輌となっています。
また、「エルフリーデ号(542号車)」が操縦ミスで転覆放棄、後にイギリス軍によって回収されて調査分析されます。前述した、被弾により乗員退避となった「ニクス号(561号車)」は、ドイツ軍が回収を試みるも故障で動けず爆破処理ということになりました。ドイツ軍戦車の損害は戦闘によるものではなく、すべて放棄でした。
イギリス軍が回収した「エルフリーデ号(542号車)」は連合国で徹底的に調査されました。このことから、連合国の文献ではA7Vを「エルフリーデ型戦車」と表記していることがあります。
そのA7V調査報告では、前面、背面、側面の装甲は英仏の戦車より厚いものの、上部のエンジン排気グリルが弱点とされています。また、車体各所の主砲架、機銃座、視察窓などに隙間が多く、弾の破片が飛び込む可能性があるとも。加えて、最低地上高が低くて走破性が悪く、トップヘビーで転覆しやすいと指摘されています。さらに、操縦の難しさや劣悪な居住性など、イギリスやフランスの戦車の設計ミスや欠陥をドイツ戦車もそのまま繰り返している、と総括されています。
1918年4月24日の会戦で、戦車は歩兵掩護だけでなく、有効な対戦車兵器になるということも示しました。もっとも第1次世界大戦では以降、戦車戦は起きず、戦車における対戦車能力の重要性は必ずしも明確になりませんでした。戦間期の戦車開発も、相変わらず塹壕戦における歩兵掩護の発想で進められました。
しかし技術と戦術の進歩で戦車の衝撃力はずっと大きくなり、戦車に対抗するには戦車が必要と再認識されるのは、第2次世界大戦が始まってしばらく経ってからです。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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