機銃だらけだった戦略爆撃機が“スッキリ”した理由 機銃を捨てても最後まで残った尾部機銃

尾部の機銃すらもはや不要に

 こうした尾部機関銃は、空対空ミサイルの技術がまだ初期段階の間は、活躍する場がありました。1972年12月18日、ベトナム戦争での爆撃任務後に北ベトナム軍のMiG-21に襲われたコールサイン「ブラウン・スリー」と呼ばれた1機のB-52Dは、急速に迫って来るMiG-21戦闘機を確認し、レーダー照準による尾部4連装機関銃で迎撃しました。これが、B-52による尾部機関銃の初戦果になります。

 さらに、同年12月24日に発生した戦闘でも、「ダイアモンド・リル」というコールサインのB-52DがMiG-21を尾部機銃のレーダー照準で撃墜。これがB-52による最後の敵機撃墜記録兼、爆撃機の尾部機関銃による撃墜記録になっています。

 その後、B-52H型になると、尾部の機関銃をより連射性能の高いM61 20mmバルカンに変更し、1990年8月に発生した湾岸戦争にも参加しました。しかし、時代は既に目視できる範囲外から超音速でミサイルが飛んでくる状態が当たり前の時代になっていたため、湾岸戦争後、尾部銃座そのものが不要という判断となり、1991年以降はB-52の尾部銃座を撤去しています。

 なお、B-52以降にNATO(北大西洋条約機構)を中心とした西側陣営で作られた爆撃機は、ミサイルの誘導を妨害する電子戦を重視した機体となっており、最初から防御兵装として機関銃や機関砲を搭載している機体はありませんでした。そのためB-52の尾部機銃撤去後は、西側の爆撃機では尾部銃座は姿を消しています。

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Tu-95の尾部に搭載されている機銃(画像:ロシア国防省)。

 西側製ではない、Tu-95やTu-22Mなどロシア空軍が使っている一部機体には、尾部機銃が残っているものもありますが、絶滅危惧種と言えるでしょう。ただ、今後レーザーなどの光学兵器が実用化された場合には、ミサイル迎撃用装備としてターレットなどが復活する可能性もあるかもしれません。

【了】

【え…最後はペッタンコに?】歴史と共に変化するB-52の尾部ほか(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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