ブルーインパルスなのに青くない!? 実機すら残っていない「幻の塗装」ごく短期間で終わった切ない理由
世界でも珍しい、リーダー機だけ違うデザイン
その人物とは当時の航空幕僚長である源田 実空将。かつて日本海軍の指揮官時代に「源田サーカス」と呼ばれたアクロチームを率い、ブルーインパルスの公式化も推進した人物です。
「アクロも一本立ちしたのだから、見る人に与える感じも考えなくては」
航空自衛隊トップの「鶴の一声」と言える、このひとことをきっかけに、ブルーインパルスの仕様機には特別な塗装が施されることになりました。しかも見た目が華やかになるだけでなく、目立つことで空中衝突の防止にもつながるという効果も含まれていたようです。
当時、ブルーインパルスが所属していたのは静岡県の浜松基地。この基地所在の隊員からデザインを募集し、集まった約80点の中から選ばれたカラーリングが、1961(昭和36)年10月の浜松基地記念式典で一般公開されました。
ただ、このときの塗装は、3年後の東京オリンピックの際に塗られていたカラーリングとは異なるもので、しかもリーダー(編隊長)機だけあえて違う色を用いるという、ある意味凝ったものでした。
金属の地肌の上にリーダー(編隊長)機だけは金色、ほかの編隊機は濃い青色の帯を胴体と翼に描き、そこに薄いピンクとライトブルーの帯を組み合わせ、翼下の燃料タンクには「Blue Impulse」と大きく文字を書き込んだ非常に派手なカラーリングだったのです。
ちなみに、リーダー機だけ色を変えるという試みは世界的に見ても珍しいものでした。とうぜん航空自衛隊にとっても初めてとなるため、担当した塗装分隊は大変苦労したといいます。
なにより、税金で購入した戦闘機、いうなれば国有財産に派手な塗装をするのは規則の面で非常にハードルが高かったはず。あくまでも筆者の推測ですが、のちに参議院議員にもなる源田 実氏の政治力があってこそ、実現したのかもしれません。
コメント