なぜ地味なのか「JR難波」 かつての一大ターミナル今後は大化け? 実は30年前からあった“構想”

準急と寝台急行が発着していたころ

 関西鉄道はいったん調停を受け入れますが、すぐに破棄。往復運賃を下げ、弁当も無料サービスし、さらに1904(明治37)年には急行列車へ食堂車まで連結します。しかし同年の日露戦争勃発で軍事輸送優先となり、両社の競争はようやく終わったのです。

 1907(明治40)年、関西鉄道は国有化されて関西本線となります。その後は1930(昭和5)年から、湊町~名古屋間に快速列車が運行され、太平洋戦争による中断を経て、1955(昭和30)年より準急「かすが」となります。

「かすが」は同区間を最速3時間4分で結びましたが、東海道本線の電化や近鉄特急のスピードアップで利用客が減少し、1968(昭和43)年より湊町駅へ乗り入れるのは上り1本のみとなります。1973(昭和48)年10月に、湊町~奈良間が電化されると、「かすが」の湊町~奈良間は廃止されてしまいました。

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準急「かすが」は湊町~名古屋間を結んだ(国土地理院の地図を加工)。

 湊町駅のもうひとつの優等列車は、1950(昭和25)年に設定された東京~湊町間の急行列車です。この201・202列車は急行「大和」と命名され、1954(昭和29)年からは寝台車も連結した夜行急行となって人気を博します。最盛期には、一等寝台車1両、一等座席車1両、二等寝台車2両、二等座席車5両の9両編成で運行された「大和」ですが、1968年に廃止されます。

大化けするJR難波駅の構想 特急が初めて停まるかも!?(路線図)

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