現地のファンも増えている!? 赤道を越えた地で活躍する日本の中古電車 いまを見てきた

ジャカルタのKAIコミューター「KCIコミューターライン」では、日本で活躍した電車が第二の人生を送っています。2025年初頭に現地へ赴きましたが、通勤ラッシュや決済方法などで、異国の“洗礼”も同時に浴びました。

空港で現金を用意してよかった そう感じたワケ

 さて、KCIコミューターラインの各路線へ向かうべく、筆者はスカルノ・ハッタ空港線に乗ります。ただし、その前に空港内で両替してインドネシアルピアを入手しておきます。現金が手元にあると後々役立つからです。

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コミューターライン用のICカード。これに現金をチャージして使用する。LRT路線では使用できるが、BRTやMRT地下鉄では使用できないなど、旅行者にとっては分かりづらい(2025年2月、吉永陽一撮影)

 空港線はタンゲラン線とチカラン線の線路へ乗り入れるものの、運賃体系は独立しています。終点のマンガライ駅までは7万ルピア(約670円)。券売機は現金、クレジットカード、インドネシア国内の電子決済が使用できますが、クレジットカード対応なのに使えないなんてこともあり、結局は窓口で現金購入という事態もしばしば。空港内で用意した現金が保険となりました。

 空港線は2017(平成29)年に開業しました。以前は空港からジャカルタ名物の大渋滞の洗礼を浴びたので、渋滞知らずの空港線は劇的な進化です。空港線は国産INKA製と韓国宇進産電製の専用車両で運行され、車両中心部でお見合い式の固定クロスシートです。

 ふと気がつくのは、電車は右側通行であること。インドネシアではオランダ時代を踏襲して右側のままなのです。この違和感はKCIコミューターラインの電車に乗り継ぐたび、より強く感じるようになりました。

 終点のマンガライ駅はボゴール線とチカラン線の乗換駅で、インドネシア鉄道のマンガライ鉄道工場が隣接しています。空港線の独立した改札を抜けると、コミューターラインの改札口が出迎えます。Suicaと似た非接触IC方式です。最初にデポジット金を含めたカードを券売機や窓口から購入するシステムとなっており、チャージも券売機か窓口で行います。ここでも現金のほうが手っ取り早く、完全キャッシュレスでの行動は難しいです。

 ICカードは、現地の銀行が発行する「e-money」、バスBRTシステム「Transjacarta」用の「JakLingko」カードなどありますが、日本の中古電車だけ乗るのであれば、コミューターラインのカードがあれば良いでしょう。インドネシアでは国内電話番号紐づけのアプリ決済が浸透していますが、我々インバウンドにとってICカードが統一されていないのは不便であり、統一化が期待されます。

現地で描かれた、日本の電車のような絵柄(写真)

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コメント

3件のコメント

  1. まず、辛口なコメントで大変申し訳ございません。

    25日の記事ではJABODETABEKと記述されていますが、今回の記事ではJapodetabek(ジャポデタベック)と記述されています。正しくはJabodetabek(ジャボデタベック)で、ジャカルタ都市圏を構成する各都市の名称の頭を取っての造語でありますが、行政の権限については詳しいことはわかりません。

    また、この205系の写真で、おそらく運用番号に表示されている12SFを読者にわかりやすく見せるために使用されたものと思いますが、夜間や夕方に駅構内で停車中の205系を撮影されればもう少し良い写真をお見せすることができたのではないかと感じております。

    この他、駅構内と思われる持ち込み禁止のお写真のキャプションで、「ドリアンや蛇などインドネシアらしい表記だ。」とありますが、蛇の禁止マークの下のインドネシア語の説明ではDilarang membawa binatangと書かれており、動物(binatang)の持ち込み禁止という意味であり、蛇をペットとして飼われているインドネシア人は多くないような気がします。小猿は多いかもしれませんが。

    プロのカメラマンかつライターさんに向かって、無礼かつ批判的なコメントで大変申し訳ございませんが、今後も記事を出される前に十分な校正と読者を大切にしていただけたらと思います。

  2. 先日のコメントに続きまして、以下のところについてもご確認をいただけたらと思います。

    1980年代には日本の技術支援によって一部区間が高架化され、信号機なども近代化されました。と記述されていますが、高架化された区間はJakarta Kota〜Manggarai間の日本のODAによる連続立体交差事業のことをおそらく指しているとすれば完成は1993年9月であります。翌年1994年秋に私は現地に行ってその事業の状況を見て来ましたが、12両編成が停車できる真新しいホーム、改札からホームへ通じるエスカレーターが稼働し、駅時刻表も日本の国鉄タイプと同等のものが掲げられているのが印象的でした。

    その他、2000年8月に都営交通6000系が譲渡されたと記述されていますが、東京都交通局の車両形式を示す場合正式には「◯◯形」であります。

    また、各々のラインカラーが設定されたのは10年前頃からかと思いますが、それまでは主な列車系統があったものの列車によっては複雑なルートを辿る列車もありました。

    BekasiとJakarta Kotaを結ぶルートはEkonomi列車が走っていた当時は基本的に環状東線(Pasar Senen)経由で、EkspresはManggarai経由でもありましたし、複雑なルートの列車の代表格では列車名Ciliwungが主にTangerang〜Duri〜Manggarai〜Depokで103系や都営6000形が使用されていました。

    以上、余計なことまで述べてしまいましたが、高架化のご説明の件や東京都交通局で使用する車両の形式用語の箇所についてはご確認をいただき、読者に正しい情報をご提供いただけたらと思っております。

  3. 失礼しました。

    先程の列車名CiliwungではなくCisadaneでございます。

    大変失礼しました。