現地のファンも増えている!? 赤道を越えた地で活躍する日本の中古電車 いまを見てきた
ジャカルタのKAIコミューター「KCIコミューターライン」では、日本で活躍した電車が第二の人生を送っています。2025年初頭に現地へ赴きましたが、通勤ラッシュや決済方法などで、異国の“洗礼”も同時に浴びました。
趣味活動で注意すべき点は
インドネシアは全人口約2.79億人のうち約87%がイスラム教という、世界最大のイスラム教国家です。時間になると街中のモスクから礼拝を合図するアザーンが流れ、異国情緒たっぷりの空気感に包まれていると、赤帯の凛々しい日本の電車がホームへ入線。どこの国にいるのか一瞬分からなくなるような心地よい混乱具合で、新鮮な気持ちになりました。電車は最近まで前面が赤一色でしたが、赤帯のシンプルな新色へと塗り替わっています。

乗車の際に気を付ける点として、両先頭車は女性の安全のために終日女性専用車両となっていること。なお、日本とは異なり、女性専用車には警備員が常駐し、男性はほかの車両へ行くよう促されます。つまり男性は前面窓観察ができません。営業走行中に床掃除と消毒作業が頻繁に行われているのも、日本では見られない光景です。
ボゴール線のマンガライ~ジャカルタ・コタ間の高架区間は、日本の技術協力によるため、どこか見たことのある都市路線と似た雰囲気さえ感じられます。高架区間には客車牽引の長距離列車専用駅ガンビルがありますが、コミューターラインは通過扱いとなり、乗り換えはかなり不便です。長距離列車をマンガライ発着にする計画もあるようですが、現在のところ変化はありません。
ほとんどの駅は近代化されているものの、例えばオランダ統治時代に開業したジャカルタ・コタ駅やタンジュンプリオク線のホームは電車用に嵩上げされておらず、ひな壇状の仮設乗り場が設置されています。筆者は脚が悪いのですが、杖がないと乗降に難があり、ホームと電車の隙間もあります。周囲の人々から手助けしていただける場面に出会い、感謝しきりでした。
1000万人を支えるKCIコミューターラインは、朝夕のラッシュ対策として12両編成の列車を運行しています。ホームは延長されているものの、全駅は完了しておらず、一部の駅はホーム外に停車してドアが開閉されることも。編成中央の車両に乗車したほうがスムーズに乗降できます。そしてラッシュ時は100%以上のすし詰め状態が常態化しており、改札への階段も滞る時間帯があります。大荷物で移動する際はラッシュ時間帯をずらすことも考慮したほうがよいでしょう。
KCIコミューターラインは平面交差する箇所があり、長距離列車の運行と重複する区間も存在するため、ラッシュ時は線路上で長らく停車することもしばしば。先を急ぐ旅では“詰む”こともあり得るため、時間に余裕を持った行動で、日本の電車を体感するのがよいですね。
※一部修正しました(3月21日17時30分)
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。
まず、辛口なコメントで大変申し訳ございません。
25日の記事ではJABODETABEKと記述されていますが、今回の記事ではJapodetabek(ジャポデタベック)と記述されています。正しくはJabodetabek(ジャボデタベック)で、ジャカルタ都市圏を構成する各都市の名称の頭を取っての造語でありますが、行政の権限については詳しいことはわかりません。
また、この205系の写真で、おそらく運用番号に表示されている12SFを読者にわかりやすく見せるために使用されたものと思いますが、夜間や夕方に駅構内で停車中の205系を撮影されればもう少し良い写真をお見せすることができたのではないかと感じております。
この他、駅構内と思われる持ち込み禁止のお写真のキャプションで、「ドリアンや蛇などインドネシアらしい表記だ。」とありますが、蛇の禁止マークの下のインドネシア語の説明ではDilarang membawa binatangと書かれており、動物(binatang)の持ち込み禁止という意味であり、蛇をペットとして飼われているインドネシア人は多くないような気がします。小猿は多いかもしれませんが。
プロのカメラマンかつライターさんに向かって、無礼かつ批判的なコメントで大変申し訳ございませんが、今後も記事を出される前に十分な校正と読者を大切にしていただけたらと思います。
先日のコメントに続きまして、以下のところについてもご確認をいただけたらと思います。
1980年代には日本の技術支援によって一部区間が高架化され、信号機なども近代化されました。と記述されていますが、高架化された区間はJakarta Kota〜Manggarai間の日本のODAによる連続立体交差事業のことをおそらく指しているとすれば完成は1993年9月であります。翌年1994年秋に私は現地に行ってその事業の状況を見て来ましたが、12両編成が停車できる真新しいホーム、改札からホームへ通じるエスカレーターが稼働し、駅時刻表も日本の国鉄タイプと同等のものが掲げられているのが印象的でした。
その他、2000年8月に都営交通6000系が譲渡されたと記述されていますが、東京都交通局の車両形式を示す場合正式には「◯◯形」であります。
また、各々のラインカラーが設定されたのは10年前頃からかと思いますが、それまでは主な列車系統があったものの列車によっては複雑なルートを辿る列車もありました。
BekasiとJakarta Kotaを結ぶルートはEkonomi列車が走っていた当時は基本的に環状東線(Pasar Senen)経由で、EkspresはManggarai経由でもありましたし、複雑なルートの列車の代表格では列車名Ciliwungが主にTangerang〜Duri〜Manggarai〜Depokで103系や都営6000形が使用されていました。
以上、余計なことまで述べてしまいましたが、高架化のご説明の件や東京都交通局で使用する車両の形式用語の箇所についてはご確認をいただき、読者に正しい情報をご提供いただけたらと思っております。
失礼しました。
先程の列車名CiliwungではなくCisadaneでございます。
大変失礼しました。