東海環状道の下に「鉄道廃線」あった! 実はかつての“一大路線網” 高速開通の裏で失われていく痕跡

東海環状道の「左上」にあたる山県IC-大野神戸IC間が2025年に開通し、岐阜県内が全通します。新たにつながる山県市、大野町に鉄道はありませんが、かつては存在しました。

ほぼ「あの時のまま」の駅も

 廃止から20年を経て、揖斐線の専用軌道区間も、岐阜市街に近いところは宅地化などが進み、徐々に失われつつあります。一方、残った軌道跡にところどころソーラーパネルが置かれているのも目立ちました。

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廃止当時の電車が残る谷汲駅跡(乗りものニュース編集部撮影)。

 一方、伊自良川から西は、ほぼ全線にわたり、その跡をたどれます。東海環状道とは本巣市内、かつての真桑-政田間で廃線跡が交差しています。

 終点だった本揖斐駅跡は、交通広場があるほかは、ほぼ失われています。一方、2001年から4年のあいだ終点となった黒野駅跡は公園化され、ホームの一部と当時の駅舎(内部は改装済み)を残した「黒野駅レールパーク」として整備されています。

 廃止当時の駅がほぼ“そのまま”残り、当時の電車も保存されている最大の「遺構」と言えるのが、2001年に廃止された谷汲線の終点、谷汲駅です。それもそのはず、昆虫館を併設した駅舎は、廃止5年前の1996年に建てられたものでした。ちなみに名鉄の600V線は、名鉄が廃止表明を打ちだす直前まで新型車(美濃町線用)が投入されたりもしていました。

 しかし、もともとスピードが遅いうえ、岐阜市内の路面区間もあり、黒野から新岐阜(現名鉄岐阜)駅前まで50分近くかかっていました。他方、東海道本線がJR発足後に大きく輸送を改善したことも、廃止の一因として言われます。確かに大垣駅や穂積駅に出れば、岐阜は10分ほど、名古屋までも40分ほどで着いてしまいます。

 結果的に“根こそぎ廃止”となった名鉄600V線の沿線にできた高速道路は、再び人の流れを変えるのでしょうか。

【地図】これが東海環状道と「名鉄の廃線跡たち」です(写真59枚)

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