自衛隊の次期戦闘機でいちやく注目!? 80年前の元祖「烈風」とは? “紆余曲折の経緯” GCAPの行く末を暗示か
日本がイギリスやイタリアと開発中の次期戦闘機に、防衛省が「烈風」という愛称を検討しているとの報道が流れました。ただ、この名前はかつて太平洋戦争中に造られた戦闘機に付けられています。では、先代「烈風」とはどんな機体だったのでしょうか。
傑作機「ゼロ戦」を上回る高性能機を求めて
2025年4月27日、共同通信が報じたひとつの記事が話題を呼びました。それは、日本がイギリス、イタリアとともに開発を進める航空自衛隊の次期戦闘機(GCAP)に関して、その愛称を「烈風」にしようと防衛省で検討されているというものです。

ただ、この「烈風」なる名称、前例があります。それは遡ること80年前の太平洋戦争中に、旧日本海軍が開発した戦闘機に与えられていました。ゆえに、もし防衛省が自衛隊の新型戦闘機に「烈風」と名付けたら、それは事実上の2代目となります。
では、初代「烈風」とは、いったいどのような戦闘機だったのでしょうか。
太平洋戦争当時、旧海軍で最も多く用いられていた戦闘機は、「零式艦上戦闘機」いわゆる「零戦」(ゼロ戦とも)です。同機が初飛行したのは1939(昭和14)年4月のこと。当時としては世界的にトップクラスの性能を示した艦上戦闘機が誕生したことで、関係者は大いに喜びました。しかし、それは、後継となる次期戦闘機は、それを上回る高性能をたたき出さなければならないというジレンマの始まりでもあったのです。
当然、後継機については、ただちに検討がスタートしています。軍部は、零戦を生産中の三菱航空機(当時)に対して、1940(昭和15)年末に「16試艦上戦闘機」の名称で、計画要求書を提示します。しかしその頃の同社は、零戦の改修や局地戦闘機「雷電」の設計で多忙でした。
しかも1941(昭和16)年12月に太平洋戦争が始まると、輪をかけて忙しくなります。そこで時期をずらす形で、1942(昭和17)年4月、改めて「17試艦上戦闘機」という名での計画要求書が提示されました。
これを受けた三菱では、「零戦」や「雷電」を手がけた、当時のわが国航空機設計界が誇る至宝、堀越二郎技師率いる設計陣が、その開発と設計を担うことになります。
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