終戦前日の米軍「群馬県伊勢崎市に爆弾落とす」なぜ? 100機近くのB-29が出向いた納得の理由とは
終戦前日にいくつかの都市でB-29による空襲が発生しました「伊勢崎空襲」もそのひとつです。
爆撃当時の様子とは?
当時の様子について、空襲で建物が全焼したという創業100年の和菓子店「親玉本店」の店主・根立美知子さん(88歳)に話を伺いました。

根立さんは当時8歳で、記憶はあまり定かでないとのことでしたが、「慌てて(現在の市立図書館近くの)防空壕に皆で逃げたことと、通っていた小学校近くの織物組合(現・織物会館)の建物が燃えていたのは覚えています」と回想します。
また、夜中に最初に起こされた際の心境については、「B-29の音はしていましたけど、まさかここに爆弾を落とすとは思っていませんでした」とも。駅や学校といった目立つ建物が狙われていたことは、当時の人々にも分かっていたようです。
この空襲により、伊勢崎市内では1953戸が被災、8511人が被災しました。死者数は近隣の村々を含めて約40人とされています。同日に実施された埼玉県の「熊谷空襲」では数百人の死者が出ていることと比較すると、被災者数は多かったものの、死傷者数は比較的少なく済みました。
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