「新京成」はなぜ78年も京成と“別会社”だったのか 「陸軍線路」の争奪戦から始まった数奇な歴史

新京成電鉄は2025年4月に京成電鉄へ吸収合併されましたが、それまでの78年間、別会社として存続してきました。背景には、戦後の混乱期における親会社・京成のやむを得ない事情と、ライバル西武鉄道との激しい争奪戦がありました。

戦前は珍しくなかった別会社での路線建設

 かつて「新京阪鉄道」という名前の鉄道事業者が存在しました。名前の通り京阪電気鉄道が1922(大正11)年、天神橋筋六丁目から吹田、茨木、高槻など淀川西岸を経て京都を結ぶ新線を建設するために設立した新会社です。

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京成松戸線を走る京成標準色の8800形電車(画像:写真AC)

 軌道として建設された京阪線は全区間の3分の1が併用軌道区間で、集落を縫うように走るためカーブが多く、輸送力と速達性に課題を抱えていました。そこで新京阪線は主要道路を立体交差で越えて直線的な線路とし、京阪輸送の刷新を狙いました。

 1928(昭和3)年に天神橋~京都西院間が開業し、同区間を34分で結ぶ高速運転を始めますが、多額の設備投資に昭和恐慌の影響が加わって経営は悪化。両社は元々業績安定後の合併を予定していましたが、財政再建を急ぐために1930(昭和5)年に合併して新京阪鉄道は消滅しました。

 最終的に新京阪線は、戦時中の阪神急行電鉄と京阪電気鉄道の合併(京阪神急行電鉄)で阪急の路線となりました。戦後の京阪再分離にあたっても京阪に返還されず、阪急京都線として現在に至ります。

 このように戦前は、同一グループ内で路線ごとに事業者を設立する例は珍しくありませんでした。例えば現在の東急電鉄は、目蒲線(現・目黒線、東急多摩川線)や大井町線は目黒蒲田電鉄、東横線は東京横浜電鉄が建設・運行し、両社は1939(昭和14)年に合併しました。

 東京横浜電鉄は元々、武蔵電気鉄道という独立した事業者であり、免許を取得するも着工できず行き詰っていました。そこで目蒲電鉄と親会社の田園都市会社が出資して、一体的に事業を進めることにしたのです。

 ただ、1924(大正13)年時点で両社が直接保有する武蔵電気鉄道の株式は約27%、関係者を含めても50%程度で、現代的な企業グループとは性格が異なります。当時は事業家や投資家個人が大株主となって経営していたので、事業が失敗しても本体に影響が及ばないよう別会社でスタートし、軌道に乗ってから合併するという手が取られたのです。

【見た目いろいろ】松戸線を走る「オリジナル色」「新京成色」の電車(写真)

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