車輪と履帯の「ハーフトラック」が消えたワケ 良いとこどりのはずがなぜハンパに?(写真10枚)

かつて米軍や独軍で広く使われた「ハーフトラック」という乗りものですが、いまではすっかり姿を消しています。良いとこどりというのは、やはり難しいのかもしれません。

始まりはロシア皇帝の「冬のおもちゃ」

 2018年現在、日本の道路舗装率は高いので、自動車を運転していても悪路の走破を気にする必要はほとんどありません。しかし、おおむね年に数回は東京でも雪が積もります。すると、とたんに立ち往生するクルマで交通は麻痺し、タイヤが悪路に弱いことを思い知ります。

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ロシア最後の皇帝ニコライ2世の、パッカードを改造したハーフトラック(画像:月刊PANZER編集部)。

 自動車の黎明期、まだ舗装道路もほとんど無かったころ、雪原や砂漠を走るには、タイヤの自動車ではスタックしたりスリップしたりと苦労が尽きませんでした。やがて、フランス人の自動車技師であるアドルフ・ケグレスがスリップ、スタックしないクルマということで、自動車の後輪を履帯(いわゆるキャタピラー)にすることを思いつきました。これがハーフトラック(半装軌車)の始まりです。クルマの後ろ半分がトラック(track)、すなわち覆帯なので「ハーフトラック」と呼ばれます。ちなみにクルマのトラックは「truck」と綴る別の単語です。当時覆帯は、低速のトラクター用としてはすでに実用化されていましたが、これを自動車と組み合わせる発想はそれまでありませんでした。

 ケグレスは20世紀初めにロシアで自動車技師として働いていましたが、雪の積もる長い冬には自動車は全く使い物にならず、王侯貴族の「夏のおもちゃ」でしかないことが不満でした。そこでケグレスはロシア皇帝に、冬でも使えるハーフトラックのアイデアを提案します。ロシア皇帝の専用自動車の後輪をゴム製の覆帯に交換したのですが、これが大成功で、雪のなかでも走れるようになりハーフトラックは「冬のおもちゃ」になったのです。

 その後フランスのシトロエン社がケグレスのアイデアを本格的に採用し、ハーフトラックを「おもちゃ」から実用車に発展させました。シトロエンのハーフトラックはPRとしてサハラ砂漠などの探検に使われて有効性が認められ、各国の軍隊も購入しました。

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