ポルシェ博士のハイブリッド戦車とは また彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか
不合格なのに量産! しかも現場で意外と好評! の背景に
ところがこのポルシェのハイブリッド戦車の話はまだ続きます。ポルシェ博士はヒトラー総統と太いパイプを持っており、その政治力で陸軍の審査結果を待たずに90両ぶんの車台の生産許可をすでに取っており、100両ぶんの装甲板を受領済みだったのです。
ポルシェ博士はハイブリッド方式に執着して改造を続け、エンジンをマイバッハHL120 V型12気筒液冷ガソリン(520馬力)に交換して、1943(昭和18)年5月までに生産許可済みの車台を使った重駆逐戦車を90両生産し、自分の名前から「フェルディナント」と命名しました。
さすがに名称はその後「エレファント(象)」に改められますが、本車を装備した重駆逐戦車大隊が2個編制されて実戦に参加しています。乗員からはギヤチェンジが不要で操縦しやすく、故障ばかりしていたトランスミッションがないということで意外と好評であったという記録が残されています。
こうしてまがりなりにもポルシェ博士のアイデアは日の目を見たのです。資材がひっ迫している戦時下で、ドイツ陸軍が失格にした戦車を政治力で強引に生産させてしまうというのは、当時のドイツの政治力学の一面を見るようです。
ポルシェ博士はただの設計者ではなく独裁者とも取引するような老獪な政治家でもありました。それは自分が信じ執着した技術を実現するという「異常な愛情」から来ているものだったのかもしれません。
この「愛情」の結晶であるハイブリッド戦車も、技術進歩でトランスミッションの信頼性が格段に向上したことで、戦後はまったく顧みられなくなります。
ガソリンエンジンとモーターの組み合せは、長い年月を経て日本で復活し「ハイブリッドカー」という言葉を一般化させることになりますが、76年前のポルシェの戦車の発想にようやく追いついたということでしょうか。
【了】
>ポルシェ博士といえば自動車史に名を残す技術者ですが、戦車開発にも大きな爪あとを残しています。
「爪あとを残す」は悪いことに使う語だと思うのですが・・・まあ考えようによっては爪痕か・・・
エレクトリックと言って…ハイブリッドは雑種の意味、ギアと電気の両用だよ…。
日産NOTE e-powerは純電気駆動だからハイブリッドを謳っていないよね…。