東京メトロ銀座駅に姿を現した「戦跡」 空襲で破壊されたトンネルをどう復旧したのか

痕跡の将来はどうなる?

 地下鉄開業50周年を迎えた1977(昭和52)年発行の種村直樹『地下鉄物語』(日本交通公社)には、被爆跡について次のように記されています。

「いまも営団銀座線銀座駅の新橋側はずれにある信号取扱所(編注:信号機や線路のポイントなどを操作する場所)前で、浅草方面ゆきの側壁を見上げると、爆弾による衝撃の跡が生ま生ましく残っている。タイル張りの壁のコンクリートの上部がずれて飛び出しているが、崩れるおそれはないとのこと」

 しかし、2019年1月14日に露出した痕跡を現地で確認したところ、「ずれて飛び出した」ように見えた部分は、実際には壁に取り付けられた鉄骨をモルタルで固めていたことが分かりました。

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現在の銀座駅A2出入口(2019年1月14日、枝久保達也撮影)。

 銀座駅のトンネル部分は、「鉄構框(てっこうかまち)」と呼ばれる鉄骨で組んだ枠を等間隔で並べ、これを鉄筋コンクリートでつなぐことでできています。トンネルを包む鉄構框は左右対称の形をしていますが、新橋寄りにある信号取扱所の上部だけ、爆撃を受けたためトンネルの両側で形状が異なっています。

 この信号取扱所から見ると、新橋・渋谷方面の線路は、天井から側壁にかけてつながる鉄骨が見えますが、浅草方面は側壁の鉄骨がなく、壁面に追加された鉄骨が天井の梁(はり)を支えています。爆弾によりトンネルが鉄構框こと破壊されてしまったので、代わりの梁を置き、鉄骨で支える構造にして応急復旧させたのでしょう。

 気になるのは今後です。爆撃の跡は再びモルタルで埋められて、化粧パネルのなかに隠されてしまうのでしょうか。数十年ぶりに姿を現した戦跡の継承は、伝統の継承をコンセプトに掲げる銀座線リニューアル計画の趣旨にも沿っているように思います。

 東京の都心が戦争の舞台となり、地下鉄にも被害が及んだ歴史を後世に伝え、今後も地下鉄が平和のうちに走り続けることができるよう、被爆跡をしっかりと保存、公開することを、東京メトロに望みます。

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鉄構框のイメージ。これを等間隔に並べてコンクリートでつないだトンネルを構築し、枠の内部にホームや線路を設置する(枝久保達也作成)。
渋谷行きの線路がある側は爆撃の被害がなかった。壁から天井にかけて伸びている鉄構框の鉄骨が見える(2019年1月14日、枝久保達也撮影)。
浅草行きの線路がある側の壁。爆撃で鉄構框の鉄骨がなくなっており、代わりの梁と鉄骨(赤く塗った部分)が復旧工事で追加された(2019年1月14日、枝久保達也撮影)。

 なお、現地へ見学に行く際は、ホームドアに接近したり、ホームから身を乗り出したりすることは絶対にしないでください。黄色い点字ブロックの内側から見るようにしましょう。

【了】

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