旧日本海軍戦闘機「紫電改」が「改」に至ったワケ 飛行艇メーカー起死回生の陸上機

川西航空機特製の自動空戦フラップの威力も空し

「紫電」「紫電改」には、川西航空機特製の「自動空戦フラップ」が取り付けられていました。元々は、陸上戦闘機に比べて劣る水上戦闘機「強風」の運動性を補完するために開発されたもので、通常は離陸や着陸のとき一時的に揚力を増加させるため主翼から展開する装置です。戦闘機のベテランパイロットは、空中戦で旋回や宙返りを行うとき揚力を増加させ、機動性を向上させるため手動でフラップを操作していましたが、高等なテクニックで誰でもできることではありませんでした。そこで操縦桿の先にあるボタンを操作すると速度を検知して自動で作動するようにしたのが「自動空戦フラップ」です。おかげでこのサイズの戦闘機のなかでは優れた運動性を示し、パイロットからも高く評価されています。

Large 190626 shiden 08

拡大画像

国立アメリカ空軍博物館で展示される「紫電改」。説明板にはアメリカ軍がつけたあだ名「GEORGE」が紹介されている(画像:国立アメリカ空軍博物館)。

「紫電改」は“決戦戦闘機”として、1945(昭和20)年中に2150機生産する計画が立てられますが、実際に生産されたのは415機に留まり、実戦部隊では松山基地(愛媛県)の第三四三海軍航空隊に「紫電」と混在して集中配備されただけでした。第三四三航空隊には優秀なパイロットが集められ、連合軍機と互角に渡り合うことができましたが、戦局を挽回することはできませんでした。1945(昭和20)年8月1日付けの海軍の「飛行機現状表」には、「紫電改」保有機86機、内可動機36機と記載されています。

 三菱は傑作すぎた「零戦」の後継となる「烈風」の開発に失敗します。一方で川西航空機は、零戦とは対照的ながら時局に合致した強力なエンジンと防弾装備、20mm機関砲4門の強武装、短い航続距離という戦闘機を生み出しました。零戦の成功体験にとらわれない別畑の「飛行艇メーカー」だからこそ造れた戦闘機だったのかも知れません。

【了】

【写真】実物大で再現された「紫電改」を上から横から

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 紫電、紫電改は、水上機からの転用で、海軍の技術部が期待せずに口を出さなかったから、良い設計となったのでは。あまり知られていないが、P51と同様に層流翼も導入して、自動空戦フラップとの組み合わせとなった。(設計したことが無い海軍関係者に翼面荷重等、多数の口出しと技術的指示をされたので、零式以降の海軍戦闘機はろくなのが出来なかった。)
    この川西ふくめ、三菱、中島、川崎、愛知機械などが、各社単独であれだけの実戦活用出来た軍用機を設計製造出来たのですから、アメリカが日本の航空業界を恐れ、戦後壊滅させたのは、周知の事実です。
    川西は、アメリカがターゲットにしていなかった水上機メーカーなので、生き残れたのは幸いです。