新幹線に飛躍した「かもめ」 過去に2度廃止も戦前から走り続けた特急列車 栄光の歴史
「かもめ」2度目の廃止 でも不死鳥のようによみがえり電車特急に
しかし、廃止から1年後に「かもめ」は“復活”します。1976(昭和51)年7月1日、長崎本線と佐世保線は全線電化されました。この時に急行「出島」を特急に格上げして、電車特急の「かもめ」となりました。冒頭で紹介した44年間の活躍がこの時に始まります。佐世保行き特急「みどり」も誕生し、博多~肥前山口間は「かもめ」「みどり」を連結しました。
当初、使用車両は485系電車が投入されました。JR化後は783系電車、787系電車を導入して485系を置き換え、さらに2000(平成12)年には885系電車「白いかもめ」が誕生します。青い海を背景に走る「白いかもめ」は当時から斬新なイメージでしたが、それからもう20年が経ちました。
「鴎」として誕生してから83年、日本で4番目に採用された伝統ある列車名「かもめ」は2020年、ついに新幹線に使われることが決定しました。当面は武雄温泉~長崎間の列車ですが、将来は博多~長崎間や新大阪~長崎間に運転区間が拡大するでしょう。新幹線に出世した「かもめ」が博多駅に再び“飛来”できるか、今後の行方に注目です。
【了】
※一部修正しました(12月4日13時44分)。
写真のキャプションからはキハ81が「かもめ」に使われたことがあると誤解されそうな記事ですね。(実際には「かもめ」の先頭車はキハ82だけです)
昭和30年台前半頃(1955~1960)の特急かもめは、当時は当たり前ながら、蒸気機関車牽引。 広島からの上りは瀬野八越え(瀬野ー八本松)のため、最後尾に補機を連結して走っていた。 普通列車などは瀬野で補機を連結したが、特急は広島からは止まらないため、広島から。 八本松・西条も止まらないため、補機は走りながら切り離した。 電車になった今でも、瀬野からから八本松の登りは、モーター音が結構厳しそうに感じる。
かもめにはキハ81ブルドック型先頭車両は使用されていないです。端正な前面のキハ82です。
誤解を与えますね
博多ー長崎間はかもめだけど、鹿児島ルートが山陽新幹線直通はみずほ、さくらな様に、直通はあかつきとかになりそう