覚えてる?「シュプール号」 スキー場へ直結した国鉄~JRの臨時列車 なぜ消滅したのか
「シュプール号」の強みとは
シュプール号の列車種別は基本的に急行でした。当時は、同じ路線を「アルプス」「妙高」「きたぐに」といった夜行急行も走っていましたが、スキーシーズンの乗客増をシュプール号が引き受けていたのです。しかもシュプール号の車両はワンランク上の特急用車両が使われました。料金も宿泊施設を組み合わせて格安に設定したため、スキー愛好家にとっておトク感があり、大人気だったようです。
座席列車でもスキーバスのような窮屈さはなく、渋滞もない。マイカーで慣れない雪道をドライブする必要もありません。ビールを飲んで一眠りして、目覚めれば雪国です。到着駅からスキー場に連絡するバスも用意されました。
鉄道趣味的には使用車両が注目されました。特急用車両だけではなく、なかには団体列車などに使われるジョイフルトレインのキハ65系「エーデル」編成、キハ80系「リゾートライナー」、12系客車「ユーロライナー」、14系客車「スーパーエクスプレスレインボー」なども投入されました。希少な例ですが寝台車を使った列車もあり、583系電車と485系電車の混結編成という珍しい運用もありました。
シュプール号はJR各社の境界を越えて運行されました。またJR各社間で「シュプール」という言葉が共通で使われました。いまとなっては珍しい列車です。その理由は国鉄時代に団体ツアー商品として開発されたからでした。シュプール号は1987(昭和62)年の国鉄分割民営化を経て、JR各社に引き継がれます。
シュプール号扱いで大阪~糸魚川を定期列車に乗りました。往路は寝台特急(名称は忘れた)、復路は雷鳥。定期列車なので時間調整もなく真夜中に糸魚川に到着して白馬・松本方面に向かう大糸線の始発まで待ち合わせ。シュプール白馬号が運休日でそんな扱いになったような記憶が・・・。
夜行列車のような使い方をしたことがあります。機材はレンタルかもしれないとしても軽装備の私たちは周囲から浮いていました。
週末ともなるとシュプール号など無い地区でも電車の駅ではた迷惑なキャスターつきバッグを転がして大勢が向かっていたのはスキーバスの乗り場でした。それすらいつしか消えたのはスキー離れということなのでしょう。
ありがとうございます。すっかりと存在自体忘れていました。緑色のJRでは今年もSKISKIキャンペーンを開催しておりますが、例年と違い俳優の起用がない、どシンプルなキャンペーン(緑色のJRにしては異例の大幅な縮小規模となっている)になっておりますし、ご存知の通りちょうどシーズン時期に緊急事態宣言が発令かつ、GOTOキャンペーンの中止(最短で再開であっても3月半ば以後で再開後はもうシーズン終了になっている可能性が極めて高い)で、スキーどころじゃない状態になっております。来シーズンは多少は例年どおりに戻るとは思いますが、まだまだ暫くはコロナ禍による影響は続きますね。
高速バス全盛のいま、スキー列車をやるとしたら、寝台しかないでしょう。
そこで差別化を図る。
ZOOを思い出しますね。広瀬香美も、この頃が特に輝いて見えました。globeのDEPARTURESも、この頃の曲。この当時のスキーは華やかでした。