覚えてる?「シュプール号」 スキー場へ直結した国鉄~JRの臨時列車 なぜ消滅したのか

第3次スキーブームが到来

 シュプール号誕生の背景は第3次スキーブームです。スキーブームは高度経済成長期以降、観光・レジャーが旺盛となった1960年代が第1次、札幌オリンピックが開催された1972(昭和47)年頃が第2次、そしてバブル経済期の1980年代後半が第3次にあたります。第3次ブームの象徴として、映画『私をスキーに連れてって』があります。この映画は1987年に公開されました。撮影は1986(昭和61)年のシーズンで、シュプール号の運行開始と一致します。

 第3次ブームは『私をスキーに連れてって』がきっかけと認知されています。しかし公開前からシュプール号の運行が始まっていましたから、ブームのきっかけはもう少し早かったと言えます。この時期はバブル経済だけではなく、完全週休二日制の普及とそれに伴うレジャー産業の発展がありました。

 並行してバブル経済においては、地方の安い土地にレジャー施設を投入し、付加価値を与えて集客し利益を上げるというビジネスモデルが旺盛でした。山林を切り開いて作られたゴルフ場やスキー場などです。そして空前のスキーブームとバブル景気は、千葉県船橋市に全天候型スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS」を誕生させたほどでした。

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「シュプール号」にも使われたことのある583系電車(2014年、杉山淳一撮影)。

 1990年代初期にバブル景気は落ち着きます。しかし、今度は円高傾向で海外のスキー用品が安く手に入るようになり、おしゃれなグッズ、スキーウエアが流行しました。これはスキーブームを延命する効果がありました。

『私をスキーに連れてって』は、第3次ブームのきっかけではなく、ブームを急加速させる映画だったと言えます。この映画では「4輪駆動車でスキー場へドライブ」という楽しみ方を紹介しており、列車とは縁がありません。それでもスキー人口の増加によってシュプール号の人気も高まりました。

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コメント

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5件のコメント

  1. シュプール号扱いで大阪~糸魚川を定期列車に乗りました。往路は寝台特急(名称は忘れた)、復路は雷鳥。定期列車なので時間調整もなく真夜中に糸魚川に到着して白馬・松本方面に向かう大糸線の始発まで待ち合わせ。シュプール白馬号が運休日でそんな扱いになったような記憶が・・・。

  2. 夜行列車のような使い方をしたことがあります。機材はレンタルかもしれないとしても軽装備の私たちは周囲から浮いていました。 
    週末ともなるとシュプール号など無い地区でも電車の駅ではた迷惑なキャスターつきバッグを転がして大勢が向かっていたのはスキーバスの乗り場でした。それすらいつしか消えたのはスキー離れということなのでしょう。

  3. ありがとうございます。すっかりと存在自体忘れていました。緑色のJRでは今年もSKISKIキャンペーンを開催しておりますが、例年と違い俳優の起用がない、どシンプルなキャンペーン(緑色のJRにしては異例の大幅な縮小規模となっている)になっておりますし、ご存知の通りちょうどシーズン時期に緊急事態宣言が発令かつ、GOTOキャンペーンの中止(最短で再開であっても3月半ば以後で再開後はもうシーズン終了になっている可能性が極めて高い)で、スキーどころじゃない状態になっております。来シーズンは多少は例年どおりに戻るとは思いますが、まだまだ暫くはコロナ禍による影響は続きますね。

  4. 高速バス全盛のいま、スキー列車をやるとしたら、寝台しかないでしょう。
    そこで差別化を図る。

  5. ZOOを思い出しますね。広瀬香美も、この頃が特に輝いて見えました。globeのDEPARTURESも、この頃の曲。この当時のスキーは華やかでした。