列車の窓は“脱出口”か コロナ禍に京王線事件 なぜ「少しだけ開く窓」になったのか

あちら立てればこちらが立たぬ…なのか

 窓からの脱出で想起されるのが1951(昭和26)年に京浜東北線の桜木町駅構内で発生した列車火災事故「桜木町事故」です。この事故では火災の影響で車両のドアが開かなくなり、乗客は窓から脱出しようとしましたが、事故車両の「モハ63形」の窓は、中段は固定式で上段と下段が開閉する「三段窓」と呼ばれる独特な構造だったため脱出できず、100人以上が焼死する惨事となりました。

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戦前の列車で一般的だった窓。全開できるものも多かった(2017年10月、中島洋平撮影)。

 確かに窓が大きく開いたなら助かった人もいたでしょう。しかし無理に窓から逃げずとも、非常用ドアコックを操作すればドアを開けて逃げることは可能でした。ところが当時、非常用ドアコックの設置は義務ではなく、設置されていたとしても、その位置や操作方法は全く周知されていませんでした。

 事故後、非常用ドアコックの設置は義務化され、設置位置や使用方法の表示がされるようになりましたが、これは京王線での事件にも通じる教訓があるように思えます。

 今回でいえば、窓を脱出口として活用する方策を考えるのではなく、ホームドアと車両のドアがずれた場合でも確実に脱出できるようにすることが重要です。そのためにはホームドアに必ず脱出口を設置するとともに、その操作方法をある程度統一し、乗客に周知する必要があるでしょう。

 ただひとつ付け加えておかなければならないのは、非常時に車内に留まる(あるいはドアが開くのを待つ)よりも窓から逃げた方が、命が助かる可能性が高いのであれば、窓から脱出することも選択肢のひとつであるということです。多様なケースを想定した対策が求められます。

【了】

【写真】幅10cm 京急の「激せま窓」

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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コメント

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2件のコメント

  1. 209系の窓は固定な上どう考えてもケチった運転、更に光線吸収のレベルも特急車輌に劣っていて正直憎しみの対象だった。
    そんな折りに発生した車内で刺激臭のあるガスの散布事件。
    あの固定窓を破る客が出れば良いと本気で思ったくらい。
    結局一部の窓が開閉可能に改修されたが。
    しかし、非常時に窓を破る客がいなかったのは、日本人のお行儀の良さだろうか。
    ジョーカー事件見て行儀が良いのも状況によると思った。

  2. 鉄道車両の窓ガラスは、脱出用ハンマーなどのピンポイント打撃なら粉砕するが、通常のハンマーでは破れないらしい。
    かといって凶器にもなり得るハンマーをそこらじゅうの人が持ち歩いているという社会も怖い。車内備え付けも色々と問題があるだろう。
    窓から脱出できていたら、ということもあろうが、容易に通り抜けられそうな窓はちょっと昔の普通列車のような上昇窓(上段が上昇でなくとも可)で、今後そういう先祖返りは無理かと思う。