昔あった「蒲蒲線」!? 廃止された短絡線5選 実はつながっていた私鉄と国鉄&私鉄どうし
わずかに広いトンネルに痕跡あり
私鉄どうしの短絡線もかつて存在しました。場所は名古屋駅です。
名鉄・近鉄短(連)絡線
現在は線路の幅が異なる名鉄名古屋本線(1067mm)と近鉄名古屋線(1435mm)ですが、どちらも1067mmだった時代、名鉄と近鉄は短絡線を介して団体列車の直通運転を行っていました。
運転期間は1950(昭和25)年から1952(昭和27)年のわずかな期間ですが、近鉄からは犬山・豊川方面、名鉄からは伊勢方面と、両社の沿線にある観光地へ列車が運行されていました。
近鉄が1435mmに改軌された上に名鉄名古屋駅も大きく改良されたため、現在短絡線の痕跡を確認するのは困難ですが、近鉄名古屋駅1番線のホーム先端からは、わずかにトンネルの幅が広くなった短絡線の跡を見ることができます。
登戸短(連)絡線
JR南武線がまだ私鉄の南武鉄道だった1936(昭和11)年、同鉄道の宿河原~登戸間から小田急線の登戸~稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)間に短絡線が設けられました。多摩川で採れた砂利の輸送や、南武鉄道沿線の競馬場への観客輸送などに活用されていたそうです。また戦後は、戦争により南武線の車両が不足していた際、車両の融通にも使われていました。
1950年代には短絡線は使われておらず、現在その痕跡をたどるのは困難ですが、登戸駅(川崎市多摩区)の南側には、弧を描くように湾曲した道路があり、この部分がわずかに、かつての短絡線を偲ばせます。
都内だと国分寺に最近まで残っていた短縮線があった
東村山ー国分寺の西武線
国分寺駅の東側にあった
鵜沼連絡線は選ばれなかったか。
途中で位置が変わってるけど、新旧どちらも40年使われた歴史ある連絡線。