明治の汽笛再び! 豊洲に安住した流浪の機関車の正体 136年目で“歴史的な石の台座”に鎮座

なぜ、豊洲に来たのか

 403号は同年、川越鉄道へ譲渡されます。川越鉄道は後の西武鉄道国分寺線と新宿線となる路線です。403号は川越鉄道5号機となりますが、やがて川越鉄道は西武鉄道へと合併。5号機も会社と運命を共に今度は西武鉄道4号機となります。

 4号機は太平洋戦争後も活躍し、1961(昭和36)年からは埼玉県北西部にあった上武鉄道へ貸し出されました。しかし1965(昭和40)年にとうとう廃車となり、英国から輸入された79年後に火を落としました。

 これだけ譲渡と改番を繰り返したというのは、あちらこちらで使い勝手の良い機関車であったからといえましょうか。ただ、この機関車の“流浪の人生”はここで終わりません。所沢市のユネスコ村(初代)に静態保存されたのですが、1990(平成2)年に同園が閉園となってしまい、今度は西武鉄道横瀬車両管理所にて保管されます。余生は西武鉄道4号機の状態で平成、令和と静かに眠っていたのでした。

 横瀬が終の住処になるのかと思われていた矢先、今回の新豊洲へ移転という大きな動きがありました。

 では何故新豊洲へ移転となったのか。それは除幕式の中で、芝浦工業大学附属中学高等学校の佐藤元哉校長が語りました。

「本校は創立100周年記念事業を進めるにあたり、前身の東京鉄道中学とのつながりを象徴するモニュメントは何かと考え、蒸気機関車の設置・展示を検討し、その実現に向け、2021年9月に委員会を立ち上げました」

【写真】製造当時の403号 ほか、展示されている様子を様々なアングルから

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