「はつかり」ならぬ“がっかり”は最初だけ? 初の特急形気動車キハ80系 開発も一苦労
「はつかり」ならぬ“がっかり”?
しかし完成を急いだこともあり、営業運転前の試運転が不十分でした。水平シリンダーにしたエンジンは、やはり潤滑油が不均一となり、トラブルを続出させました。特に東北本線の勾配区間でエンジントラブルを起こすと、勾配を登りきれないばかりかオーバーヒートでエンジンの発火事故まで発生しました。
冷房や食堂車の機器を動かすための発電用エンジンも、不調が多くありました。出力不足は最後まで起き、「冷房が止まるので、食堂車の機器を止めてほしい」と車掌が食堂長に要請することもあったそうです。こうしたトラブルが頻発したことから、「はつかり “がっかり”」と揶揄されるほどでした。
しかしメーカーの苦労もあって次第に性能は安定し、1961(昭和36)年のダイヤ改正では全国にキハ80系による特急列車を増発することが決まります。この際に登場したキハ82系は、先頭車両がボンネット型から貫通型に改められ、分割併合運用に対応しました。また、食堂車キシ80形も定員減と引き換えに2台エンジンとし、パワー不足を若干解消しています。
当時は特急列車が少なかったこともあり、例えば特急「白鳥」は大阪~青森間と、大阪~上野間を結ぶ編成を併結していました。このため、併結区間では食堂車2両が営業しており、食べ比べをする乗客も見られたようです。
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