阪急電車の祖「箕面有馬電気軌道1形」見てきた 100年前の車両 “現代に通じる”要素とは

大阪市内が専用軌道となると…

 完成当時は木製車体であり、前頭部の妻面は優美な曲線を描き、三枚窓で、おでこの位置に行先表示機もありました。外観は、現在の阪急電鉄にも受け継がれるマルーンで塗装されており、車体長は13.5mでした。

 天井には飾り窓があり、社紋入りの刷りガラスが設置されていました。天井灯はシャンデリア風で、床にはリノリウムが敷かれていました。座席はロングシートですが、モケットにも社章があしらわれていました。窓は木製の鎧戸、外観も金線で唐草模様が描かれているなど、細部までこだわったつくりでした。

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阪神急行電鉄時代の社章(2022年12月、安藤昌季撮影)。

 1形は18両(1~18)が1910(明治43)年3月に製造され、同年末に10両(19~28)が製造。翌年にも5両(29~33)が製造されました。18番目の製造車両から妻面構造や車体裾部の設計が変更されたので、こちらを「19形」と区別することもあります。

 製造以来、宝塚線と箕面線で運用されていた1形ですが、1922(大正11)年より2両編成で運行されるようになります。この際に、1~18(1形)は、丸みを帯びた前頭部形状を四角く改め貫通路を設け、自動連結器も装備しました。さらに12と18は、屋根を丸屋根に改めています。

 1926(大正15)年に、大阪市内の高架複々線が完成しました。併用軌道が解消されたことで、1形も障害物排除用のフェンダーが撤去され、前頭部にヘッドライトと標識灯が装備されました。この際に、集電装置をトロリーポールからパンタグラフとし、高速運転に対応しています。

 さらに、翌年から腰板などに鋼板を貼り、簡易半鋼製車体に改造されました。この際、33のみ完全な丸屋根とし、座席は紺色のモケットへ、室内灯はシャンデリア型としたので、貴賓車や貸切用として使われることが多くありました。

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