敵の爆撃機、ウチの国のじゃ…!? 謎のドイツ機「ドルニエDo200」名称すら欺瞞の特殊部隊
第2次大戦中、ドイツ空軍はドルニエDo200という飛行機を運用していました。しかし同機はドルニエどころかドイツ製ですらなく、アメリカで造られた機体でした。特殊用途に用いられた珍機の謎に迫ります。
宣戦布告でアメリカから大量飛来
第2次世界大戦中、ドイツ空軍は「ドルニエDo200」という4発爆撃機を運用しました。ところがこの飛行機、アメリカで造られたもので、しかも同国が連合軍側に立って同大戦に参戦してから、敵であるドイツ空軍に配備されるようになったのです。いったいどういうことなのでしょうか。
1941年12月、日本の真珠湾攻撃がきっかけとなって、アメリカは第2次世界大戦に参戦します。そして日本に加えてドイツにも宣戦布告すると、太平洋方面だけでなく、ヨーロッパ方面へも大兵力を送るようになりました。そのひとつが、1942年にイギリス本土へ展開した第8爆撃兵団です。この部隊は、主にボーイングB-17「フライングフォートレス」やコンソリデーテッドB-24「リベレーター」といった4発エンジンの大型爆撃機と、その護衛につく各種戦闘機を保有したアメリカ陸軍屈指の巨大飛行隊でした。
1944年2月には編成が変更されて部隊名も第8航空軍に改称されますが、前出した軍用機を大量に運用し、ドイツ占領下のヨーロッパやドイツ本土の軍需工場、製油施設、インフラといった戦略目標を爆撃し続けます。
第8航空軍は、連日のように何百機もの4発爆撃機を出撃させましたが、その結果、当然ながら撃墜されたり不時着したりする機体が生じました。もちろん、これはアメリカ軍のみならず、ドイツ占領地域の上空に出撃する連合国の航空機すべてにもいえることです。
そこでドイツ軍は、自軍の占領地域内やドイツ本土に墜落もしくは不時着した連合軍の航空機を、性能や構造などを調べるために収集するようになりました。そして、集められた連合軍の墜落機や不時着機は、ドイツ軍の手で飛行可能な状態に復元され、同軍のパイロットの空戦訓練や、対空部隊の識別訓練などに用いられました。
こうしたなか、第8航空軍が多数出撃させているB-17は、ちょっとした修理で飛行可能となる機体がかなり集まりました。それに墜落機も多く、それらから使用可能な「部品の剥ぎ取り」も容易でした。
加えてドイツ空軍には、4発大型機が不足しているという苦しい台所事情もありました。そこで、鹵獲(ろかく)再生されたB-17を自軍の航空機として実戦投入することにしたのです。これに伴い、鹵獲した飛行機を運用するための特別部隊も編成されました。
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