世界で2台のみ タイに残る旧軍「一〇〇式鉄道牽引車」は、魔改造で凄まじい出で立ちに
説明看板もなし… この状態になったワケを推測
ただ、いつからこの状態なのか、現地に説明看板もなければ泰緬鉄道の資料でも見たことがないので、いまいち判然としません。鉄道連隊の車両として活躍していたときは、作戦行動のためにデュアルモードを活用したはずですから、このような魔改造をして永久的に鉄道モードにするくらいなら、ほかの車両を当てがうでしょう。車両不足のためにやむなくとは考えられますが。
おそらく終戦後、タイに放置されたものを同国国鉄が転用し、いつの頃かに鉄道車両として前輪部を改造した――そう考えるのが妥当です。保存するためだけに、わざわざしっかりとした軸受けを施すのは現実的ではありません。
台車以外だと、フロントガラスが完全に欠損して窓枠が辛うじて残るほかは、ハンドルが欠損しメーター類も存在せず、シートもありません。直6エンジンや後輪のクランクシャフトといった駆動系は残っていました。
さらにボンネットの側板もなくエンジンが露出。これは側板の紛失かと思われます。ただ、一〇〇式鉄道牽引車は中国大陸の寒冷地での使用を想定して、凍結防止のために空冷式ディーゼルエンジンを搭載しましたが、これが仇となり厳しい暑さの南方ではオーバーヒート気味であったとか。そのため、南国の炎天下には、ボンネットを開け放して強制冷却しながら走行したともいわれています。ゆえに、あえて側板を外したのかもしれません。
さて2023年は、泰緬鉄道開通から80年の節目です。タイの一〇〇式鉄道牽引車が泰緬鉄道で活躍したか否か、軍用車両ゆえに資料が乏しく詳(つまび)らかではありませんが、沿線に保存されているのは何かの縁があってのことです。ナムトック線へ訪れた際は、歴史の一幕に思いをはせてもよいでしょう。
【了】
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。
コメント