「日本一の戦闘機作れないなら、サーキットで世界一に!」理系のスーパーエリートが手掛けた日本の名車3選

第二次世界大戦の敗戦によって飛行機開発の夢を閉ざされた日本の航空技術者たち。戦後、そんな彼らが職を求めたのが黎明期の自動車産業でした。なかでも代表的な航空技術者3人と、彼らの手掛けた名車を紹介します。

ホンダ第1期F1の立役者は航空エンジンのスペシャリスト

 戦後、中村さんは日本内燃機製造(のちの東急くろがね工業、現・日産工機)を経て、1958年にホンダへ入社します。

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第1期ホンダF1「RA272」。ホンダはこのマシンで1965年のメキシコGPで初優勝を飾った(画像:モビリティランド)。

 当時のホンダにはオートバイの技術者しかいなかったため、入社早々、四輪開発部門の責任者を任せられた彼は、S500やT360などの市販車開発の指揮を取る一方で、1964年に始まったF1参戦の責任者にもなります。

 1965年シーズンは一時、F1チームの監督を外れるものの、最終戦のメキシコGPで中村さんは復帰。海抜2000mを超える高地でのレースに、航空機エンジニアだった彼の知見が生かされ、ホンダF1の初優勝を実現しました。

 1966年に中村さんは再び市販車開発に戻るも、1967年に三度F1の監督に復帰。しかし、1968年にホンダがF1から撤退すると社長の本田宗一郎さんとの確執から、そのまま欧州駐在員としてヨーロッパに残りました。

 今回は3人の航空畑出身のエンジニアを紹介しましたが、彼ら以外にも戦後、航空機から自動車へと活躍の場を移した技術者がたくさんいました。彼らの存在がその後の日本車の発展の基礎を作ったといっても過言ではないでしょう。

【異形すぎる!】トヨタの傑作車「カローラ」誕生につながる旧日本軍の試作機です(写真)

Writer:

「自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、モト・グッツィV11スポーツ、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか」に

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