儲けは「食堂車の3倍」!? それでも鉄道の「車内販売」が廃れたワケ 駅弁がちょっと高い理由もここに?

東海道新幹線でのサービス開始も視野

 結局、鉄道省は旅客サービス改善のため、1934(昭和9)年より、食堂車非連結列車で区間を限定して弁当や湯茶を販売することにします。これは好評で、翌1935(昭和10)年には「列車内乗込販売営業手続」が定められました。「列車・区間・品目(弁当・寿司・お茶)を限定して販売する」という内容です。

 ただし戦争が激化した1944(昭和19)年、食堂車の連結は一旦中止され、旅行証明書を持った長距離旅客向けに、五目弁当かパンを特定の列車内や駅で発売する形態となりました。

 戦後、車内販売は食糧事情が安定していた地方線区で再開されます。大陸より引き上げた国民の移動を支援するために、政府が指示したものですが、雑穀や屑米が混入した弁当でした。また、調理室だけが残されて三等座席車とされた元食堂車でも、雑貨が販売されていたようです。

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駅弁のイメージ(安藤昌季撮影)。

 1958(昭和33)年より、国鉄は食堂車非連結列車で、弁当・お茶・雑貨を販売するようになります。現在のようなワゴンを用いて車内販売を行っていたようです。これは、後々食堂車を連結することを視野に入れ要員を育成するためで、供食サービスの主体は食堂車と考えられていました。1964(昭和39)年の東海道新幹線開業も念頭にあったのです。当時は地方に若者が多く、要員の確保は容易でした。

 ただ食堂車は、鉄道が移動の中心だった当時でさえそれほど儲かるものではなく、急行電車のビュフェは赤字を車内販売で埋めている状況でした。

 そして、新幹線ビュフェに採用された電子レンジは「食品を秒で温める」と評判になり、セルフサービス式の営業など、後の外食産業の基本を確立していきます。しかし、これが食堂車だけでなく車内販売も脅かすことになります。

【懐かしい?】0系新幹線の食堂車メニュー

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