「火攻め」「水攻め」で長期不通に… 40万本のタイヤが燃え、駅が「浮上」!? 武蔵野線の受難史

首都圏の放射路線を環状に結ぶ武蔵野線は、過去に2度、長期不通に見舞われています。1980年の高架下火災と1991年の水害という、いわば「火攻め」「水攻め」はどのようなものだったのでしょうか。

武蔵野線を襲った「火攻め」「水攻め」

 中央線や東北線、常磐線など東京都心を起点に各方面へ伸びる放射線は、都心直結の便利さから多くの利用者がいます。しかし各路線間の移動は都心を経由しなければならず、ネットワークとして非常に不便であるのみならず、通過交通が集中するため都心の混雑や線路容量の逼迫(ひっぱく)をもたらします。

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かつて武蔵野線を走っていた103系電車(画像:村上暁彦 / PIXTA)

 そこで登場するのが、放射線を横につなぐ環状線です。東京では明治中期、当時の都心周辺に山手線が開通して各路線が接続されました。しかし大正~昭和初期になると山手線は都心に飲み込まれ、さらに外側に環状線が必要とされました。それが武蔵野線です。

 構想自体は昭和初期から存在しましたが、戦後の高度成長で貨物の迂回ルートが必要になり、整備に着手。1973(昭和48)年4月に府中本町~新松戸間が開業しました。すでに鉄道貨物は衰退期に入っていたものの、現在も貨物列車の主要ルートとして使われています。

 そんな武蔵野線は過去2度、一部の区間が長期にわたって運転できなくなる事態が発生しています。一つは1980(昭和55)年に西浦和駅高架下で発生した火災、もう一つは1991(平成3)年に発生した水害です。武蔵野線を襲った「火攻め」「水攻め」は、どのようなものだったのでしょうか。

 西浦和の火災は1980年8月17日20時頃に発生しました。乗客や運転士の通報を受けて確認したところ、高架橋の柱付近から炎が上がっていることを認めたため、急いで消防に通報するとともに列車の運転を止め、対応にあたりました。

 ここまでは、時々ある沿線火災です。しかし西浦和の事情が異なったのは、燃えていたのが大量の古タイヤだったという点です。現場は西浦和から約400m府中本町寄りの上り線高架下で、幅約30m、長さ約120m、高さ約5m、約40万本も古タイヤが積まれていたのです。

【痕跡あり】「水攻め」にあった駅の“傷跡”を見る(図と写真)

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