よくある駅の跨線橋…じゃない!? 足元に鎮座する「ナゾ台座」は山の向こうを目指した線路の痕跡だった

JR東三条駅の構内に、不自然な形でホームが残されています。実はこれ、かつて使われていた弥彦線のホームでした。高架化と一部区間の廃止という歴史に翻弄された、その痕跡を観察します。

はるか福島を目指した路線

 弥彦線は、今でこそ東三条が始発・終着駅となっていますが、かつては東三条駅から7.9km先の越後長沢駅までを結んでいました。歴史を紐解くと、東三条への乗り入れは1925(大正14)年4月10日、当時の越後鉄道により燕駅から一ノ木戸駅(現在の東三条駅、1926年8月に改称)間が延伸開業したことに始まります。

 続いて1927(昭和2)年7月31日には、改称した東三条駅から越後長沢駅までの区間が開業。つまり信越本線を横断するように、東三条駅から南西へ向けて線路がさらに続くようになったのです。越後鉄道としてはこの路線を福島県まで延伸する目論見があり、東三条~越後長沢間の延伸はその第一段階というところだったのでしょう。この計画を鑑みると、構内の南側へアクセスさせたのもうなずけます。

 ところが、この年の10月1日に越後鉄道の路線は国有化されます。この結果、福島県までの延伸計画は立ち消えとなり、越後長沢止まりとなりました。

 東三条~越後長沢間の通称・弥彦東線は利用者が少なく、国鉄時代の1980(昭和55)年4月1日に廃止され、弥彦線は東三条までに短縮されました。

 こうした歴史を振り返ると、弥彦線の高架化と0番線へのルートは弥彦東線が廃止され、構内の南側へアクセスする必要性がなくなったという要素も大きく働いたとも受け取れます。もし弥彦東線が残っていたら、信越本線を越えなければならない配線や高架化の区間はどうなっていたのか……。歴史の「もし」はありませんが、今と違った景色を想像してみるのもおもしろそうです。

 地上時代の弥彦線廃線跡は一部が遊歩道化されたほか、信越本線とのアンダーパス部分は緩やかなカーブを描いた道路に変わっており、単線の鉄道が走っていた雰囲気を感じます。また、越後長沢方面への線路跡も道路に変わっており、駅の東側、新津寄りから緩やかなカーブで南側へ分かれていく様子が見られます。

 そして、これらの間にある東三条駅の南口。かつての4・5番線ホームはその存在をさりげなく主張しながら、行き交う列車たちを日々見守っているのです。

【遺構】東三条駅の元ホームと廃線跡を見る(写真)

Writer:

幼少期、祖父に連れられJR越後線を眺める日々を過ごし鉄道好きに。会社員を経て、現在はフリーの鉄道ライターとして活動中。 鉄道誌『J train』(イカロス出版)などに寄稿、機関車・貨物列車を主軸としつつ、信号設備や配線、運行形態などの意味合いも探究する。多数の本とNゲージで部屋が埋め尽くされている。

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