「嫁入り道具の定番バイク」「全家庭の必需品」「買えなければ結婚できない」 日本人が知らないアジアのスゴする「ベスパ熱」をご存じか?
高度経済成長期の日本ではマイカーブームが起こりましたが、同時期の台湾やインドでは「ベスパ」がその役目を担っていました。映画のオシャレなイメージとは違う、アジアの人々の生活に深く根付いた歴史があります。
台湾ではマイカーならぬ「マイベスパ」が根付いたが…
一時期までの台湾では「3種類のベスパか、ごく僅かのカワサキなどの実用バイクしかない」時代がしばらく続いたこともあり、まさに台湾人にとっては「昔のバイク」イコール「ベスパ」だったというわけです。
軍や警察、銀行員といったお堅い仕事の車両に採用されたほか、若者のデートの足となり、嫁入り道具の定番にもなりました。結婚式では「新郎新婦がベスパに乗るコーナー」が式に組み込まれることも珍しくなく、やがて誕生した子どもたちもベスパに憧れ、ベスパのオモチャに乗って遊ぶ時代がしばらく続きました。
日本の高度経済成長期、「マイカー」の前で子どもを抱っこして撮る「家族写真」が定番となり、それはある種の物質的な豊かさを示すものでした。一方の台湾では「マイカー」に変わるものが「ベスパ」で、ベスパの前で子どもを抱っこして撮る家族写真が定番だったようです。現に台湾人に「古い家族写真を見せてくれ」とお願いすると、結構な頻度でベスパが映り込む写真を目にします。
しかし、1980年代に入ると、状況が少しずつ変わっていきます。まず、前述の百吉發が1984〜1985年にかけて不渡りを連発し倒産。また、同時期に水面下で日本のホンダの技術提供を受けてきた台湾のバイクメーカー、光陽(KYMCO)、三陽(SYM)といったメーカーが続々と高性能で軽いスクーターを発売。旧来式の鉄でできたベスパは「過去の産物」として不人気になりました。さらに1995年に台湾で2サイクルエンジンへの厳しい規制がしかれると、台湾におけるベスパは完全に淘汰される格好となりました。
経済発展途上期の台湾は、「古い物には用がない」「もっと合理的で便利な物を」と前へ前へと進むきらいがあり、あれだけ親しまれたベスパは「鉄屑」として街中に捨てられているのをよく見かけたものです。しかし、世界的なクラシックベスパの評価が台湾にも伝えられると、再びベスパが再評価されることにもなりました。
今も台湾各地にクラシックベスパの専門店やマニアのガレージが存在し、一般ニュースや新聞でもたびたび「お爺ちゃんやお父さんが好きだったベスパの今」のような特集報道がされることがあります。また、年に一度、台湾各地で「ベスパラン」的なイベントが開催され、リアルタイム世代から若い層までが一同にベスパに乗って集結します。同様の「ベスパラン」は世界各国にありますが、アジア圏では台湾でのそれが、抜きん出た熱量を持って開催されているように映ります。





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