「新幹線の父」十河信二を知っているか なぜか四国伊予西条にいる0系そこにあるドラマ

相次ぐ国鉄の不祥事 立て直すべく十河に白羽の矢

 1955(昭和30)年、十河は71歳。とっくに隠居しても良い歳です。しかし、十河は国鉄を心配していました。戦後復興が進み日本の経済は成長期に入ろうとする一方、国鉄は不祥事が続いていました。1951(昭和26)年の桜木町事件など、相次ぐ列車事故で総裁が次々と引責辞任していたのです。

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四国鉄道文化館に展示された0系の先頭車。JR西日本で最後まで走った4両編成のひとつ。反対側の先頭車は英国のヨーク博物館に寄贈された(2019年11月、杉山淳一撮影)。

 総裁の適任者がいない。そこで、鳩山総理と総務会長の三木武吉が十河に白羽の矢を立てます。十河は高齢と健康を理由に固辞します。しかし三木から「キミは元は国鉄の人間だ。国鉄は言わば祖国だ。その祖国の城に城主がいない。一死奉公する気はないのか。君の武士道精神は廃れたか」と説得され、「最後の奉公、線路を枕に討ち死にする覚悟でやります」と応えました。この部分は諸説ありますが、とても重要です。

 国鉄総裁となった十河は、支社制度を発足させて本社の権限のいくつかを移管するなど組織改革、経営改革を断行。その一方で、後藤や島が果たせなかった広軌鉄道(新幹線)敷設に着手します。

【写真】もうひとつの0系新幹線

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