「新幹線の父」十河信二を知っているか なぜか四国伊予西条にいる0系そこにあるドラマ
政界の重鎮が十河信二と新幹線を応援
いま、こんなことがバレたら国会は紛糾、内閣総辞職まで持って行かれそうな事案です。事実、反対する議員はたくさんいたようです。十河の国鉄総裁の2期目続投を阻止する動きもありました。しかし、政界のフィクサーの鶴の一声で反対派を黙らせ、十河は続投、新幹線建設は続けられました。鶴の一声を発した人物、それは十河が国政を託した人物、吉田 茂でした。
さらに援軍が現れます。当時の大蔵大臣で鉄道省出身の佐藤栄作です。佐藤は十河に「世界銀行からの資金調達」を助言します。「新幹線は長期にわたる事案だ。政権が変わるたびに是非が問われ、予算が増減されるようでは進まない。世界銀行から調達すれば、新幹線建設は世界との約束になる。政権に左右されない」
こうして新幹線の建設は進められました。しかし、2期目の終盤になって、建設費の不足が明らかになります。しかし、世界銀行から借り、完成も見えた新幹線工事は止められません。国会は新幹線に人質を取られたかのように予算を差し出しました。その一方で、国鉄は大幅な赤字を計上します。そのようななか、1962(昭和37)年に三河島事故が発生。十河は引責辞任こそしなかったものの、3期目は就任できませんでした。この時、十河と運命をともにしてきた島も辞任しました。
1964(昭和39)年10月1日、ついに東京~新大阪間で東海道新幹線が開通します。しかし、テープカットの場に十河と島の姿はありませんでした。出発式に招待もされなかったようです。
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