東武伊勢崎線はなぜ浅草がターミナル駅? 上野まであとわずか その歴史的背景をたどる
なぜ東武浅草駅は急カーブなのか
その駅用地は、すぐ近くの隅田川に並行する細長いものでした。吾妻橋駅を出て隅田川を渡った後、90度急カーブして浅草駅に入ることになります。しかも東武グループの総帥 根津嘉一郎が、申請書の提出後に、「何としても浅草にふさわしい立派な駅ビルを建設せよ」と言い出しました。
そうしたこともあり、橋のたもとから駅ビルのなかへ半径100mという、とてつもない急カーブを設けざるをえなくなりました。両渡り分岐器(隣の線路へ渡るポイント)を、当時としては異例の隅田川橋梁の上に設けるなど、技術陣も知恵を絞ります。
急カーブの様子は、現在でも浅草駅を訪れるとよく分かります。ホームによっては先端付近からこの急カーブは始まっていて、車両とホームのあいだが著しく開いてしまっています。危険なので列車先頭(北千住寄り)2両のドアは開閉しない箇所があったり、特急電車では先頭付近ホームと車両の乗降口のあいだに、持運び式の渡り板を置いて対応したりしています。電車はこの急カーブを、車輪の音をきしませながら15km/hで走行しています。
伝統的な店が多い浅草には、駅にも様々なドラマがありました。
【了】
※一部修正しました(4月20日16時20分)。
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
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